郷土の偉人の生涯 劇「大槻俊斎物語」を熱演 東松島・赤井小
東松島市赤井小(児童149人)で10日、「大槻俊斎物語」と題した劇の発表会があった。同校は郷土の偉人で、近代医学の道を開いた幕末の医師(蘭方医)、大槻俊斎(1804~1862年)を顕彰している。6年生30人が、俊斎の生き方を通して夢を追い続けることの大切さや何事も諦めない心の強さなどを熱演した。
同校は「俊斎の生き方を学び、夢や希望に向かって頑張ろうとする子どもたちの育成の指針になれば…」と、2015年に教職員、PTA、住民有志ら13人で組織する「俊斎プロジェクト」をスタート。17年には学校、地域、保護者の連携で志教育の副読本「大槻俊斎」を仕上げた。
劇の発表は、6年生の「学びの集大成」の位置付けで、初披露以来、4年に1回のペースで計画。2回目は昨年の予定だったが、新型コロナウイルスの影響で中止となっていた。
劇は「苦しい人々を助ける医者になる」と高い志を持って18歳で江戸にわたってから亡くなるまでの生涯を再現。西洋医学を学ぶ際の「新しい知識を学び戻ってくる」などのせりふとともに献身的な奉仕活動の様子も織り交ぜながら俊斎の功績を紹介した。
俊斎を演じた大槻奏羅さんは「女の子でも主役をやりたかった。『人の命を救いたい』というせりふが心に残っている。小学校生活のいい思い出になりました」と感想を語った。
奏羅さんは「赤井地区では俊斎先生は有名だけれど、他ではあまり知られていないのが残念。もっと名が高まるように広めていきたい」とも話した。
終演後、児童たちは「俊斎先生を誇りとし、何事にも諦めない気持ちで歩んでいきます」と決意を表明。「私・ぼくの夢」と題した自分たちの決意のスライドも上映した。
【メモ】
俊斎は桃生郡赤井村星場(現東松島市赤井)に誕生。18歳で江戸にわたり、医学を学ぶ。34歳で長崎に赴き、西洋医学を勉強し、江戸で開業。種痘所を設立し、天然痘で苦しむ人々を救った。種痘所は現在の東大医学部の前身となる西洋医学所と改名し、初代頭取として後進の指導に当たる一方、天然痘ウイルスの撲滅などに貢献した現代医学の礎をつくった。