羽生結弦 恩師が見た原点(下)高校時代、強い精神力で自ら律す

世界ジュニア制覇後、帰国した羽生=2010年3月15日
我妻 敏さん
中津川澄男さん

 氷上を離れても、厳しく自分を律する姿は変わらない。フィギュアスケートの羽生結弦(ANA、宮城・東北高出)の高校2年時の担任、我妻敏さん(39)には忘れられない思い出がある。

 2011年、定期試験の前のことだった。ちょっとピリピリしていたクラスの雰囲気を和まそうと、羽生にこう声を掛けた。

 「もし高橋大輔選手に勝ったら、100点をあげてもいいぞ」

 高橋がバンクーバー五輪で銅メダルを獲得し、日本フィギュア界の王者として君臨していた頃の話だ。冗談のつもりだったが、羽生はそう受け止めてくれなかった。

 「絶対に勝ちますよ。避けていてはトップに立てませんから」

成績は常に学年上位

 当時は東日本大震災の影響で仙台での練習がかなわず、全国各地で開催される復興アイスショーを転々としていた。通学も満足にできなかったが、学業をおろそかにしなかった。

 「学校に来ると、よく先生や友達に分からない所を聞き、短時間で頭に入れていた。練習、試合を言い訳にしなかった」。成績は常に学年上位だったという。

 高校3年時の担任だった中津川澄男さん(54)は精神面の強さが心に残っている。

 ソフトテニス部を何度も全国の頂点に導いた名将として知られる中津川さんは、選手向けにメンタルを鍛えるDVDを自作している。カナダ留学の直前、職員室にあいさつに訪れた羽生に勧めると、こう言われた。

 「ありがとうございます。でも、いつも自分で考えているので大丈夫です」

 教師相手にも忖度(そんたく)なし。「当時の羽生は一流になっていくか、そのまま終わるかの大事な時期だったと思うが、しっかりとした自分の考えを持っていた。だからこそ、世界の頂点まで登り詰めたのだろう」

4回転半で3連覇へ

 昨年12月の全日本選手権。右足首の故障で8カ月ぶりの実戦を圧倒的な強さで制し、五輪代表の座を手にした。

 「支えてくれた方々の思いを含め、出ると決意した。出るからには勝ちたい」。当初、五輪出場に前向きでなかったものの、ファンの思いに応えるため再び立ち上がった。新型コロナウイルスでカナダへの渡航がかなわず、故郷で孤独に練習に励んでいる。

 目指すは前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)成功と、94年ぶりの冬季五輪3連覇。輝きの原点となった仙台で再び力を蓄え、さらなる偉業を成し遂げる。

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