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ベガルタJ2戦記(1)4失点、波乱の開幕

2004~05年余録

 ベガルタ仙台は今季、J2から再出発する。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。

 「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」

開幕戦でCKを懸命にクリアーする仙台・ガスパル(左)とGK高桑(中)。この試合はセットプレーから3失点を喫している

 2004年3月13日、横浜・三ツ沢競技場。春を思わせる陽気とは打って変わってJ2仙台・ベルデニック監督の表情は真冬の険しさを見せていた。横浜Cとの開幕戦は0―4の大敗だった。

 「試合の結果にはとてもがっかりしている。選手が気持ちで負けていた。相手ほどアグレッシブに戦えなかった」。知将の眉間のしわが一層深まった。

 前半9分でGK小針清允がジャンプした際に左足を痛め、高桑大二朗に交代するアクシデントはあった。しかし、それ以前に球際でことごとく負けていた。ハードな当たりこそが、J2の洗礼だったように思える。

 ボールを奪われ、次々とピンチを招いては前半だけで2失点。逆に仙台のシュート数はトップ下に入っていた菅井直樹のミドル1本だけ。これでは試合にならない。三ツ沢競技場のゴール裏を埋めた4000人の仙台サポーターからの声援は試合途中で途絶えた。

 キャンプ中の練習試合はJ1広島に競り勝つなどまずまずの内容だった。しかし、今考えてみれば完敗した福岡戦に守乱の端緒が見えていた。この年から3バックを採用したが、サイドの背後を突かれ、控え中心の相手に5失点。問題を引きずったまま開幕を迎えてしまっていた。

 「J1復帰とはやしたてられ、選手が無意識のうちにJ2を甘く見ていたところがある」

 指揮官の言葉にも驚かされたが、続くホーム初戦も京都相手に5失点。ここでベルデニック監督は守備再建へ向け、誰もが驚く大なたを振るうことになる。

  ■  ■
 開幕戦のスタメンを振り返ってみよう。GKは前述の通り小針清允。高桑大二郎との激しいポジション争いを経て開幕出場を果たす。J2でもトップランクのGK陣と言われた。DFラインは前年柏から補強した森川拓巳、心優しきスロバキア人助っ人ガスパル、後に監督を務めることになる主将の渡辺晋。中盤の底は大黒柱のシルビーニョに、汗かき役の石井俊也。ウイングバックは左に現コーチの村上和弘、右に財前宣之。トップ下に当時2年目の菅井直樹が抜てきされていたのが懐かしい。2トップは22歳になったばかりの佐藤寿人とベテラン大柴克友が入っていた。その後の成績低迷に伴い、先発メンバーはめまぐるしく変わることになる。
(スポーツ部・安住健郎)

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