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冬季五輪 羽生選手活躍、石巻にも感動と勇気

プレナミヤギに展示されている羽生選手のサインや写真
プレナミヤギのリンクでスケートを楽しむ人々
来店した羽生選手の写真を持つ渋谷さん

 北京冬季五輪フィギュアスケート男子のフリープログラムが10日にあり、仙台市出身の羽生結弦選手(27)=ANA、東北高出=はクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑戦した。回転不足による転倒などで結果は4位に終わったが、クワッドアクセルは世界で初めて認定された。中学時代と前々回のソチ五輪後に訪れている東日本大震災の最大被災地・石巻では、市民らがテレビ越しにエールを送った。前人未到の超大技に挑む姿に、人々は勇気と感動を受け取った。

プレナミヤギ(石巻市不動町)

<練習や交流会で来場>

 羽生選手は中学時代まで石巻市不動町2丁目のレジャー施設「プレナミヤギ」のアイススケートリンクに練習や交流会などで訪れていた。施設は震災で被災し、19年には台風19号の被害にも遭った。現在は新型コロナウイルスの影響も受けるが、石巻地方唯一のスケートリンクとして営業を続けている。

 羽生選手のコーチがプレナミヤギにも指導に来ていた縁で、羽生選手も石巻地方の子どもたちと交流を深めていたという。高橋芳昭社長は「小さい頃からスケートはうまかったが、今では宮城、日本の誇りだ」とたたえる。

 プレナミヤギのスケートリンクは毎年11月~3月にオープン。例年石巻地方や周辺の地域から愛好者らが訪れ、シーズンを通しての来客は約1万2000人に上る。19年シーズン終盤の3月以降に、新型コロナウイルスの影響で客足が遠のき始めた。

 冬季五輪の開催年は2割ほど客入りが伸びる傾向にある。一方、コロナ禍では約3割減少した。毎年約30校の石巻地方の小学校がスケート教室で利用するが、オミクロン株の影響で約10校が年度末に延期になっている。

 高橋社長は「かつて羽生君が滑ったリンクを子どもたちにも楽しんでもらいたい」と話し「羽生君が近い将来指導者などになったら石巻でも演技を見せてほしい」と未来を見据えた。

東京屋食堂(石巻市双葉町)

<母親らと昼食に来店>

 石巻市双葉町の飲食店「東京屋食堂」の店主渋谷明彦さん(61)は、営業中の調理場でフリープログラムの時間を迎えた。テレビのあるホール側から従業員の「転んじゃった」という声が聞こえ、超大技の失敗を悟った。

 前日の練習で右足をひねり、痛みをこらえながらの挑戦だった。逆境ながら史上初の認定を勝ち取った羽生選手に、渋谷さんは「もちろん転ばないで成功することも祈っていた。それでも五輪で挑戦したことに意義があり、勇気をもらった」と語る。

 羽生選手は2014年ソチ五輪で金メダルに輝いてから約4カ月後の6月に店を訪れた。テレビ番組を石巻で収録する間にテレビスタッフと母親と来店。店内中央のテーブルで五目焼きそばを食べたという。

 渋谷さんが本人に「もしかして羽生君?」と尋ねると、昼時で満員だった店内はサインや記念撮影をする客で騒然となった。羽生選手は嫌な顔一つせず誠実に対応しており、渋谷さんは「大騒ぎになって心配になったが、すんなりと受け入れていた。好青年で印象が良かった」と振り返る。

 店はその後、県内外にとどまらず、中国や米国など国外からもファンが訪れるようになった。店内には羽生選手との記念写真に加え、ファンたちが持ち寄った写真や貴重なゆかりの品が飾られている。

 渋谷さんは「いつのまにか聖地のような場所になった。また多くのファンの方や羽生君に復興した街や店を見てもらいたい」と話した。

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