ベガルタJ2戦記(2)導いた窮余の策
2004~05年余録
ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」
20日の開幕戦は新潟とスコアレスドローに終わった。仙台は圧倒的に押し込まれたが、粘り強い守備でゴールを割らせなかった。新潟は6位だった昨年の戦力がほぼ残り、アルベル前監督(現J1FC東京監督)が築き上げたポゼッションサッカーを継続している。完成度の差を見せ付けられる格好となったものの、まずは勝ち点1を取れたことを祝いたい。
シュート数は新潟13に対し仙台4。新潟から見れば、3倍以上のシュートを放ちながら勝ち点1しか奪えなかったゲームと言える。新潟は2017年の降格以降、16、10、11位と低迷してきた。昨季は開幕から13戦負けなしで首位を突っ走りながら、シーズン中盤以降勝ち切れない試合が続き、上位争いから脱落している。
いいサッカーと勝てるサッカーは違う。これもJ2の現実だ。
時計の針を04年に戻そう。仙台は開幕戦の横浜C戦で4失点、2戦目は京都相手にホームで5失点という最悪のスタートを切った。加えてGK小針清允は開幕戦で靱帯(じんたい)損傷の大けがで全治2カ月、主将の渡辺晋も左足の亀裂骨折で全治2カ月。まさに泣きっ面に蜂。チーム状態に光は全く見えなかった。
ここでベルデニック監督は思い切った策を取る。前線の3枚を除き、6人がほぼマンツーマンで守りに徹する。超守備的な布陣の採用だった。
ゾーンプレスという言葉を覚えているだろうか。相手の攻撃選手に対し、マークの受け渡しをしながら積極的にプレスをかける戦術で、80年代にアリゴ・サッキ率いるACミラン(イタリア)に黄金期をもたらした。
ドイツでサッカーを学んだベルデニック監督は1990年代に来日。日本リーグの全日空(後の横浜フリューゲルス)で加茂周監督の下でコーチを務め、この戦術を浸透させた。いわばゾーンプレスの伝道師的な役割を果たしてきた指導者が、正反対とも言えるマンツーマン守備を取り入れる。まさに窮余の策だった。
「1対1の守備でやられているのだから(マークを受け渡さず)責任を持って守ってもらう。守備の意識をチームに植え付ける」
理由を聞くと、実にシンプルな答えが返ってきたことを良く覚えている。180度の方針転換に選手は戸惑ったが、第3節の札幌戦はPKによる1失点でしのぎ、続く首位川崎戦は佐藤寿人の2得点でシーズン初勝利。知将の策は着実に結果につながった。
降格に伴う選手流出はJリーグの常。この年も大幅に入れ替わった。
現日本代表監督の森保一が現役ラストイヤーとなったのが03年。戦力外通告を受けて引退を決めている。守備の要だった小村徳男も退団した。FWマルコスとのホットラインで得点を量産してきた岩本輝雄もJ1名古屋へ移籍し、FW山下芳輝もJ1柏へ移った。
代わりに獲得したのがFW大柴克友、MF西谷正也ら。現在監督を務める原崎政人もこの年J2大宮から移籍している。
22年シーズンはGKヤクブ・スウォビィク、FW西村拓真ら9人が抜けた一方、J2水戸で2年連続2桁得点の中山仁斗、J1鹿島で活躍してきたベテランの遠藤康らを獲得。そしてチームのレジェンド、梁勇基が復帰した。
開幕戦は移籍組7人が先発に名を連ね、日体大卒のルーキー大曽根広汰も積極性あふれるプレーを見せた。前回の降格時よりも充実した補強がなされたと言えるだろう。
(スポーツ部・安住健郎)
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