鈴木 秀治(すずき・しゅうじ)ー遠田郡畜産農協初代組合長(美里町)ー県産和牛 創成期支える

年間1万5000頭を超える牛が上場されるみやぎ総合家畜市場=15日、美里町
鈴木 秀治

 宮城県が誇る和牛の最高級ブランド「仙台牛」。県内では約3040戸の農家が牛の繁殖、肥育に取り組む。小牛田町(現美里町)出身の鈴木秀治(1891~1970年)は、県内での近代畜産業の先駆者として県産和牛の創成期を支えた。

 明治以降の肉牛生産は、和牛に洋牛を掛け合わせた「改良和牛」の登場で軌道に乗った。鈴木は1923(大正12)年、県営種畜場の技師と共に先進地の鳥取県に赴き、21頭を購入。遠田郡近隣に配分し、県内初の和牛農家を誕生させた。

 小牛田町で搾乳所「晩翠舎」を営んでいた鈴木は、その2年前、東京での博覧会で改良和牛に出合った。病気に弱い馬に代わり農耕もでき、牛肉にもなる商品性の高い改良和牛が、農家を経済的に助けると確信した。

 当時の畜産はほぼ馬一色。牛はなじみが薄かった。「道楽ベコ(牛)を押しつけている」「鈴木の歩いた後はベコのよだれ臭くて息もつけねえ」という周囲の陰口にめげず、5年間で100頭以上導入した。

 25年には種牛の民間貸し付けを受けて県内初の民間種付け業に着手。来客には自ら茶を振る舞う温厚な人柄で、農家を訪ね歩いては無償で削蹄(さくてい)や難産牛の助産に当たった。

 孫の茂治さん(65)は「いつもニコニコしていた。しょっちゅう人が集まり、(会合の)お膳は50あったほどだ」と晩年の様子を語る。

 鈴木の昭和以降の活動は多岐にわたるが、特筆すべきなのは牛家畜市場の発展への貢献。当時は、牛馬の取引は仲買人の博労が袖の中で値段交渉する「袖下取引」が一般的だった。

 16年に県内初の牛市場が小牛田に誕生したが、上場は10頭足らず。鈴木は公正に値段を決められる市場の特性をいち早く見抜き、利点を説いて農家を回った。資金不足を解消し、固定市場が完成したのは最初の競りから26年後だった。

 戦禍を乗り越え、鈴木は48年に遠田郡畜産農協の初代組合長に就任した。小牛田家畜市場は、昭和末期には全国屈指の規模にまで成長。小牛田町長、参院議員を務めた栗村和夫さん(1992年死去)が「お国自慢のいの一番」とたたえたほどだった。99年、県内13市場を統合して町内にみやぎ総合家畜市場が誕生した。

 美里町の元農業委員長磯田敏幸さん(78)は「誘致合戦を勝ち抜いた背景には、小牛田家畜市場の実績があった」と指摘する。

 鈴木が亡くなった際、葬儀には多くの参列者が詰め掛け、2回に分けて実施したという。

 改良和牛導入から約100年目の今年、「和牛のオリンピック」と呼ばれる全国和牛能力共進会(全共)鹿児島大会が開かれる。頂点に続く道を、先人の足跡が導く。(小牛田支局・横山浩之)

 「知ろう 伝えよう みやぎ 先人の足跡」は今回で終わります。

[メモ]旧小牛田家畜市場構内に鈴木の胸像が建立されていたが、みやぎ総合家畜市場の開設に伴い撤去された。2000年、小牛田町史や遠田郡畜産農協の資料を基に娘婿が鈴木秀治 回顧録」を発行。美里町小牛田図書館に所蔵されている。

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みやぎ 先人の足跡

 私たちの暮らす現代社会の豊かさは、先人たちのたゆまぬ努力と強靱(きょうじん)な意志、優れた知性や感性などに支えられ、長い年月をかけて育まれてきた。宮城の地域社会に大きな影響を及ぼしてきた人々の足跡をたどり、これからの社会やおのおのの人生をより良くするヒントを学び取りたい。

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