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海と共にこれからも 石巻地方の事業者、再生期す

 東日本大震災で大きな打撃を受けた水産業。漁獲量の減少や担い手の高齢化といった課題を抱えながらも、再生を期す事業者は新たな手法による販路拡大や地域に根差したサービスの維持に力を注ぐ。海と共に歩む事業者を訪ねた。(奥山優紀、大谷佳祐)

浜義丸水産(東松島市大塚)

<カキの6次産業化、自社ブランドで勝負>

 東松島市鳴瀬地区のカキ漁師二宮義秋さん(45)は2019年に「浜義丸水産株式会社」を設立し、カキの6次産業化に取り組む。

 震災の津波で東名漁港から約1キロメートル先にあった自宅と加工場は全壊した。震災後は共同処理場を利用し出荷していたが「こだわって育てたカキ。自社ブランドで勝負したかった」と二宮さん。国のグループ化補助金などを活用し、震災から10年の21年3月、東名漁港そばに加工場を再建。20代の若手を社員に迎え、本格的にスタートを切った。

 鳴瀬川と吉田川が注ぐ栄養豊富な海で育てた1年ものを出荷する。自種を使い、生育に合わせて環境を変えるなど手間暇を掛けたカキは、うま味の強さが特長。「七恵牡蠣(ナナミオイスター)」と名付け、ブランド化を図る。

 新型コロナウイルス禍や今季の不漁で打撃を受けながらも、オンラインショップを開設したり小売店に売り込んだりと販路拡大に励む。二宮さんは「加工にも力を入れ、年間を通して販売したい」と意気込む。

カキの6次産業化に挑む二宮さん(左)

 

布施商店(石巻市魚町3丁目)

<タラ原料にスープ、ネット駆使し販拡に力>

 大正時代から続く水産加工の老舗「布施商店」(石巻市魚町3丁目)は元々、タラの1次加工をメインとしていた。震災後は前例のない新たな魚の売り方に挑戦している。

 先頭に立つのは大手商社を辞めて4年前に帰郷した現社長布施太一さん(39)。東京のシェフの監修を受け、タラの頭や骨を使ったスープを開発。切り身や白子を付けてセット販売するなどして販路を拡大させた。凍結機を導入し、飲食店の需要開拓や加工品業者への原料提供も可能にした。

 インターネットを活用した情報発信にも力を入れる。昨年夏、動画投稿サイト「ユーチューブ」に「仲買人、タイチ」というチャンネルを開設。通販サイトもつくり、これまで事業者寄りだった商売を消費者の方に近づけた。

 自身が魚の特徴を紹介したり、料理を作ったりすることで魅力を発信。取り組みの数々に「○○といったら布施商店という代名詞をつくる。水産業を衰退させず、地域にも貢献し、発展させていく」と時代を捉えた変化で未来を築く。

ユーチューブで石巻の魚の魅力を発信する布施さん(左)

 

遠山工業・シミズモータース(石巻市雄勝町船越)

<養殖船修繕や整備、地域の漁業者支える>

 石巻市雄勝町船越地区の遠山工業とシミズモータースは、漁船の修繕や整備、艤装(ぎそう)などを担い、地域の漁業者の仕事を支える。震災前は町内に複数の同業者がいたが、今も事業を続けるのは2社だけになった。

 震災で2社とも工場が被災。以前から協力関係にあり、2014年に「マリン遠山合同会社」を設立し、国や市の補助金などを活用して工場を新設した。

 遠山工業は三浦順代表(72)と社員の伊藤政行さん(72)が約40年、二人三脚で続けてきた。どんな依頼にもすぐ対応できるようさまざまな部品をそろえ、要望に合わせて養殖用設備も手作りする。

 三浦代表は「船の医者みたいなもの。頼まれた仕事は何でもやる」と話す。

 シミズモータース2代目の清水秀洋さん(45)は、震災後に転居した東松島市矢本から毎日片道約1時間かけて地区に通う。震災後、同業他社に勤めた時期もあったが、地元で再始動する道を選んだ。

 漁業者の減少で先行きは不透明だ。それでも清水さんは「近場で修理できないとみんな困る。いつでも駆け付けられるようにしていたい」と思いを語る。

養殖船の機械を作る遠山工業の三浦さん(左)と伊藤さん
ワカメ養殖船の設備を整える清水さん

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