伝える力、未来に 震災体験・教訓を発信する人々 石巻地方
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた石巻地方で、記憶や経験、自らの思いを伝えようとする人々がいる。あの日失われたかけがえのない命、後世に伝えるべき教訓、地域の復興と心の復興とのつながり-。異なる形でさまざまな内容を発信し続ける姿を紹介する。(漢人薫平、浜尾幸朗)
矢本はなぶさ幼稚園
<被災の事実を分かりやすく>
被災した東松島市赤井の私立矢本はなぶさ幼稚園(園児167人)は震災後、年長組の子どもたちが手話を交えた「花は咲く」の合唱を続けている。
2011年3月11日は1週間後に控えた卒園式の準備をしていた。震災の津波で園舎が1.7メートル水没したほか、帰宅した年中の伊藤律ちゃん=当時(4)=や保護者が犠牲になった。
幼稚園が被災したことや身近で犠牲者も出たことを園児たちに伝えていこうと、手話を加えた「花は咲く」の合唱を始めた。活動の合間に歌うほか、毎年「みやぎ鎮魂の日」(3月11日)に合わせて前日の集会で披露してきた。
今年は震災から11年。震災10年を節目に新たな一歩を踏み出そうと、鎮魂の日に集会を開く。本番に備えた練習では、年長の2クラス(57人)が元気いっぱい歌声を響かせた。11日は午前保育とし、律ちゃんの写真を掲げて犠牲者に黙とうをささげるほか、教師らが震災についてお話をする。
園では震災を経験した18人の教員の3分の1が今も在籍する。山田元郎園長(66)は「震災を風化させないように分かりやすく伝えていく」と話した。
雄勝花物語
<植樹通し安らぎ創出>
津波被災した故郷・石巻市雄勝地区を花と緑で満たす活動に取り組む。一般社団法人「雄勝花物語」代表理事の徳水利枝さん(60)は植樹を通し、活動を共にする人々に「生きる意欲」を伝えている。
雄勝地区に住んでいた母典子さん=当時(82)=を津波で失った。前年の2010年、チリ沖の地震津波が雄勝にも到達した。足の不自由だった母が「もう十分生きたからいいんだ」と言う姿を今でも覚えている。震災から約2週間後に遺体安置所で対面した際、変わり果てた姿を母とは断言できなかった。
「あの時、母の頭に浮かんでいた死の迎え方、見送られ方はこんな形だったのだろうか」。助けられなかった罪滅ぼしの気持ちから典子さんとの思い出が深いホオズキを実家跡地に植えた。一変した故郷の景色をそのままにしておけないとの思いもあった。
一輪の花から始まった植樹は、延べ約1万人以上のボランティアの協力で庭園が完成した。活動は地域全体に広がり、住民や来訪者の安らぎの場づくりが進む。徳水さんは「自ら動いて地域をつくることで元気になれた。花を植えることが生きる意欲につながることを伝えたい」と語る。
3・11みらいサポート
<オンラインで語り部>
「カメラさん、もう少し右を写してください」
石巻市門脇町5丁目の伝承交流施設「MEET門脇」の一室。藤間千尋理事(43)が屋外のスタッフに指示を出す。語り部をオンラインで開き、遠方の参加者でも現地の臨場感を感じられる工夫を重ねる。
公益社団法人「3.11みらいサポート」(石巻市)は石巻地方を中心に伝承プログラムを開く。市内外の語り部に活動の場を提供してきたが、新型コロナウイルスの影響で今年2月末までのプログラムの予約キャンセルは約1万2000人に上った。
「ニーズがなくなったわけじゃない。私たちの仕事は安心して語る場、聞ける場をつくること」と昨年6月にオンライン語り部を始めた。当初の設備はウェブカメラ2台のみ。手探りで始め、ノウハウを蓄積した。現在はカメラやモニターといった機材をそろえ、オンライン参加者は延べ約2万3000人を数える。
室内の語り部の話に合わせ、カメラマンが屋外でライブ中継する試みを始めた。参加者からは「いつか自分の足で被災地を訪れたい」との声が寄せられた。藤間理事は「教訓を伝え続けることで助かる未来の命があると信じている」と力を込める。