どくとるマンボウ仙台戦後日記(上)「杜の都」は索漠たる眺め--石沢友隆(郷土史家)
高層ビルが林立し、街路樹の緑がまぶしい仙台の街並みからは想像もつかないだろう。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)夏、この街の中心部は米軍機の大空襲により一面焼け野原にされたのであった。間もなく…
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