赤井遺跡、関東との交流裏付け 石巻市図書館で郷土史講座
石巻市図書館の郷土史講座が3日、同館であり、東北学院大博物館学芸員の佐藤敏幸さんが「発掘調査から見る石巻地方の古代史」のテーマで話した。
佐藤さんは、旧河南町出身で石巻市在住。40年にわたり石巻地方の遺跡の発掘調査に携わっており、現在、「石巻かほく」に「発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方」を毎週水曜に連載している。
佐藤さんは考古学の定義について「人類誕生から現代までの発展過程をモノを使って研究すること。それにより人間の将来の方向に一定の貢献をする」と述べた。
最初に「遺物」、不動産である建築物などの「遺構」、遺物や遺構により構成される「遺跡」の違いを説明した後、25年間の長期にわたり発掘調査を続けている東松島市の赤井遺跡などの調査結果から分かる歴史について話した。
佐藤さんは赤井遺跡について「大化改新のあった7世紀中ごろから後半に関東地方から大量移住があり、以前から住んでいた人と一緒に暮らした集落跡で、続日本紀に記載のある牡鹿柵(おしかのさく)の造営もあった」と指摘した。土器の中に関東地方の特徴を持ったものがあり、関東地方との交流が裏付けられると説いた。
石巻市湊小近くの五松山洞窟遺跡については「古墳時代の人骨が19体以上出土。関東地方の特徴があるものと、縄文時代人かアイヌ民族に似た在地系の人の特徴を持つものがあり、双方が一緒に埋葬されている。金メッキを施した耳環(じかん)など豪華な副葬品も大和王権と関わりのある地方豪族の墓でもあった」と解説した。
さらに「同じような洞窟遺跡は千葉県房総半島で途切れるが、茨城、福島を飛び越え突然、石巻で発見されたのかなど謎が多い」と語った。
講座を聴講した人は、石巻地方の歴史に思いをはせながら、佐藤さんの話に耳を傾けていた。