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謎多い「若宮丸漂流民」に迫る 石巻で研究会開催 ネット配信も

オンライン配信も行い善六の足跡に迫った研究会

 石巻若宮丸漂流民の善六を顕彰する第2回「善六研究会」が11月27日、石巻市千石町のかほくホールで開かれ、謎の多い善六を巡って興味深い意見が活発に交わされた。

 若宮丸漂流民は江戸時代後期、日本人で初めて世界一周して帰国したことで知られるが、後世の人たちを最も魅了しているのが石巻市出身の善六の生き方。帰国を希望せずロシアで通訳として生きる道を選び、ゴローニン事件では「キセリョフ善六」と名乗りロシア側通訳者として1813年に函館に上陸。その後、故国の土を踏むことなくロシアで生涯を全(まっと)うした。

 善六の足跡の解明に乗り出したのが、石巻若宮丸漂流民の会と函館日ロ交流史研究会。

 2回目となった善六研究会では、コメンテーターとして漂流民の会の谷川正明さんと本間英一さんのほか、函館日ロ交流史研究会から倉田有佳さんが駆けつけた。高田屋顕彰館・歴史文化資料館(兵庫県洲本市)の斉藤智之さんはオンラインで参加した。

 本間さんは善六について石巻市内の寺で過去帳をチェック。新事実は発見されなかったが、これまでの調査で海難供養碑が31個もあることが判明。当時、若宮丸のように遭難し帰ってこなかった船がいかに多かったかを報告した。

 谷川さんは善六が関わった露日辞典づくりで方言の使用頻度が少ない点を指摘、「方言を出さないようにした善六は意識の高い人間だったのでは」と推理、斉藤さんは「一庶民ながらロシアでも日本でもないという意識で行動した人」と、国境を持たない国際人の先駆けだったことを強調。倉田さんは善六がいち早く帰化した理由・背景の解明を課題に挙げた。

 研究会では善六が函館に上陸して210年になる来年9月、函館市で善六シンポジウムを開催することを検討。漂流民の会の木村成忠会長が善六を題材に講談執筆に取り組むことも明らかになった。

 漂流民の会事務局長の大島幹雄さんは「善六の調査は入り口に立ったばかり。研究会を継続しながら善六の人間像に迫りたい」と意欲を示した。

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