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仙台市役所本庁舎、「完全形」はあと数カ月限り 今年から建て替えに着手<+W 共に生きる>

 仙台市青葉区の中心部に立つ市役所本庁舎が、老朽化を主な理由に2030年度までにすっかり建て替えられる。長い工事期間の目に見える最初の一歩として、今年は議会棟などの解体が始まる。昭和、平成、令和にまたがり60年近く親しまれた杜の都のランドマークが、完全形で眺められるのはあと数カ月限り。消えゆく風景の記憶を目と心に焼き付けておきたい。(生活文化部・阿曽恵)

今年で58歳の仙台市役所本庁舎。左側に見える議会棟から解体が始まる

塔屋に展望室

 現庁舎の完成は1965年、高度経済成長期の真っただ中だった。「仙台もずいぶん都会になったなと驚きました」。その頃に市役所に就職した泉区の奥山利雄さん(80)が振り返る。塔屋部には展望室があり「制服姿のエレベーターガールが案内していました」。同じく市職員だった妻の睦子さん(80)は、訪れた市民に「げたのまま上がっていいのすか?」と尋ねられたという。確かに玄関ホールは一部に大理石が用いられ、ちょっぴり豪勢だ。

 地上8階、地下2階。今となっては青葉区役所や宮城県庁、民間のオフィスビルが周囲に立ち並び、高さのインパクトは弱い。でもかつて大きな建物といえば、旧宮城県庁(3階)と仙台三越(7階)、現在は仙台第一生命タワービルが立つ場所にあった市立病院(5階)ぐらいだった。

 当時の市人口は48万。塩釜市や名取市などとの仙塩合併を目前に控え「グレーター仙台の建設」が掲げられた。結局、仙塩合併は頓挫したが、88年に泉市と秋保町を編入、89年に政令指定都市となった。99年には人口が100万に到達。78年の宮城県沖地震、2011年の東日本大震災も乗り越えた。本庁舎は戦後仙台の成長と発展を見守り続けた。

白亜の殿堂と呼ばれた旧仙台市役所=1958年

惜しむ声聞かれず

 一方、「白亜の殿堂」と呼ばれた先代の庁舎や、赤れんが造りの旧県庁に比べて外観の印象が薄いのか、解体を惜しむ声は聞こえてこなかった。県美術館の移転新築に反対する市民運動が大きなうねりとなった数年前とは異なる。比較的新しく、個人の思い出と深く結び付く芸術文化施設と、一般の人には縁遠い役所の違いなのか。

 市民団体「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」の事務局長を務めた大沼正寛東北工業大教授(51)=建築設計、建築史=は「高度経済成長期の鉄筋コンクリート造の建築は、後世に残しづらい傾向にある」と説明する。「装飾を無駄なものとしてそぎ落とし、効率・性能重視で設計するため目立った個性がない。しかも性能はどんどん時代遅れになる。救うための価値を見いだしにくいんです」

赤れんが造りの旧宮城県庁=1959年

設計に高い評価

 もっとも当初から業界の評価は高かった。1967年に受けた建築業協会賞(BCS賞)は年に15件前後が選ばれ、優秀建築の証しといえる。設計は山下寿郎設計事務所(現山下設計、東京)。山下は米沢市出身で、代表作に日本初の超高層建築の霞が関ビル(東京)がある。同時期に宮城県民会館(仙台市)や岩手県庁(盛岡市)も手がけている。

 仙台市内に事務所を構え、宮城スタジアムを設計した建築家の針生承一さん(80)は現庁舎に愛着を持つ一人。「コンクリート打ちっ放しの表情が非常に端正。戦後モダニズムの庁舎建築の典型で奇抜さがない分、安心感があります」と語る。見落とされがちだが、東西の側壁を彩るグリーン系の落ち着いた色合いのタイル張りも美しい。

 針生さんは「仙台の街は古い建物を大切に残してこなかった。新しいものを造り出すだけでなく、新旧が混在して積み重なってこそ文化ではないでしょうか。象徴的な風景が全く残らないのは残念です」と指摘する。

規模倍増し市民協働の場も

新庁舎の完成イメージ。右下が勾当台通、手前は勾当台公園市民広場

 仙台市の新しい本庁舎の高層棟は地上15階、地下1階。高さは現状の2倍の約80メートルに伸び、県庁と肩を並べる。延べ床面積も倍増し、現在11カ所に点在している分庁舎と仮庁舎のほとんどが解消される。議会機能は14、15階に置く。

 外観は単調な箱形ではなく、凹凸がある「雁行(がんこう)形」で、見る面によって表情が変わる。マンションのように各階に巡らせた、ライトグレー色のコンクリート製のバルコニーが特徴だ。

 高層棟の北側と東側に、デッキで結ばれる4棟の2階建ての市民利用施設を配置する。東側の1棟と高層棟の間には大屋根が架けられ、その下は天候に左右されずイベントや災害時に活用できる広場となる。

 現庁舎を順次解体しながら、新庁舎を建設する。2023年度前半にまず、敷地西側の議会棟と現庁舎前面の低層棟が取り壊される。前庭の噴水もなくなる。24年度に新庁舎の工事に取りかかり、28年度に使用し始める。現庁舎の高層棟はその後に撤去される。30年度に全工事を終え、総事業費は約472億円を見込む。

 市本庁舎整備室の藤田考一室長(53)は「低層部は市民協働の場となります。勾当台公園市民広場と定禅寺通、一番町商店街との連続性を図り、街の新たな魅力を発信します」と話す。

現在の本庁舎は3代目

 仙台市の現在の本庁舎は3代目に当たる。2代目は1929(昭和4)年に登場した。現庁舎の前庭部分に立ち、背後に建設された現庁舎の完成を待って解体された。設計は地元の建築家、細谷慎治。鉄筋コンクリート3階、花こう岩仕上げの外壁を持つルネサンス様式で「白亜の殿堂」と称された。

 全国に目を転じると、この2代目と同時期に建てられたのが、ニュースでよく見かける鉄筋コンクリート4階の京都市役所本庁舎だ。こちらは大規模な耐震改修工事を経て、創建当時の意匠を生かして今も使用されている。

 旧宮城県庁は1931年生まれ。やはりルネサンス様式で、赤れんがで彩られた壮麗な洋風建築だった。日比谷公会堂(東京)や宮城県民会館(仙台市)、岩手県公会堂(盛岡市)、福島県庁(福島市)も手がけた著名な建築家、佐藤功一が設計した。

 佐藤による滋賀県庁(大津市)や群馬県庁(前橋市)は、それぞれの県都で今なお現役で活躍しているが、旧宮城県庁はバブル景気が始まろうとする1986年に姿を消した。

 隣の山形市では、大正最後の年だった1926年完成のれんが造りの旧県庁が、重要文化財の県郷土館「文翔館」となって保存、公開されている。誇るべき近代遺産であり都市の価値を高める存在として、県民に広く愛されている。

古い建築が残らない街

 旧仙台市役所と旧宮城県庁はいずれも、市中心部が焼け野原となった仙台空襲を辛くも生き延びた。だが、その後の経済発展に伴い、人口と行政需要が増すにつれ、施設が手狭、老朽化して、あえなく寿命が尽きた。

 仙台市内では用地確保の問題や宮城県沖地震の影響があったにせよ、公共施設をはじめ古い建築の多くが失われてきた。仙台藩祖伊達政宗の開府から422年、市制施行134年の歴史を持つ東北最大の都市、仙台のもう一つの特徴だ。

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