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捜索できぬ無念、今も 福島県追悼式・遺族代表あいさつ 南相馬市の宮口公一さん(65)

 両親が津波の犠牲となり、悔しく、残念な気持ちは12年間変わりない。3月11日、私は東京電力福島第2原発で放射能管理の仕事をしていた。自宅や両親のことが心配だったが、放射能測定作業を続けざるを得ず、南相馬市小高区の避難所に着いたのは深夜の2時を回っていた。

 両親を捜しても姿はなかった。隣の家の方に「…

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