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動く七夕? 仕掛け物? 「仙台七夕まつり」の思い出を尋ねると… 河北新報社アンケート

観光客でにぎわった仙台七夕まつり=2013年8月、仙台市青葉区中央

 東北三大祭りを締めくくる伝統の仙台七夕まつりが6~8日の3日間、仙台市内で行われます。今年は4年ぶりの通常開催ということもあり、楽しみにしている方も多いのではないでしょうか? 河北新報社は2、3の両日、「読者とともに 特別報道室」のLINE(ライン)で友だち登録している人にアンケートを実施し、仙台七夕まつりの思い出を尋ねました。(編集局コンテンツセンター・三浦夏子)

[アンケート結果の概要] 回答者数は172人で、内訳は男性98人、女性72人、無回答2人。年代別は60代の45人を筆頭に、50代42人、70代40人、40代23人などと続いた。

9割以上が「仙台七夕に行ったことがある」

 仙台七夕まつりに行ったことがあるかどうか尋ねたところ、9割以上の162人が「ある」と答えました。今年は行く予定があるかどうか聞くと、6割の105人が「ない」と回答し、「ある」は3割の52人でした。「その他」を選んだのは15人で、「天気次第」「まだ決めていない」といった理由が挙がりました。

仕掛け物や「動く七夕」を懐かしむ声も

 仙台七夕まつりの思い出を尋ねる自由記述欄には、141人が回答を寄せました。家族や友人らと吹き流しの下をそぞろ歩きしたエピソードをはじめ、かつて子どもたちに人気だった仕掛け物や「動く七夕」を懐かしむ声も目立ちました。

 自由記述欄に寄せられた声を全て紹介します。

80代以上の回答

「子どもが迷子にならないよう歩いた」

30年程前になりますが千葉県に在住の甥っ子を案内したことを思い出します。(宮城県栗原市・90歳以上男性・無職)

七夕飾りの豪華さと動く七夕飾り。(仙台市泉区・80代男性・無職)

転勤組なので特別な思い入れはありません。さすがに、50年も前の事なの ですが、アーケード街での人混みには圧倒された記憶が鮮明にありました。(仙台市宮城野区・80代男性・無職)

人出が多く、暑さの中ぶつかりそうになりながら、子どもが迷子にならないように飾りの下を歩いた…。昭和40年代のにぎやかな思い出。花火大会も、仲の瀬橋の混雑…。大変でも、楽しい記憶…。景気上昇期の活気!(仙台市泉区・80代男性・無職)

初日から多くの人出でにぎわった仙台七夕=2003年8月6日、仙台市青葉区一番町3丁目

「家族みんなで七夕を作った」

出身が宮城県ですので非常に思い出が深いです。今でも青葉通、一番丁通の風景が目に浮かびます。(神奈川県・80代男性・無職)

私は河原町の砂糖問屋の長女として生まれ、七夕は商店街で七夕を飾る。お手伝いさん、番頭さん、家族みんなで七夕作り。夜中までかかり、毎日毎日作る。小学生から近くの紙屋さんで不足紙買いに走る。紙を折り、色々の花を作り、かごに針金でつけ、ぼんぼりができた時の喜び。吹き流し、輪っかでも、母は巾着、着物作る。前の日、店の前に良い香りの竹が来る。短冊に従姉妹(いとこ)達と願い事書いて飾る。滑車でクルクル上に上げる。隣も みんな飾る。青い空に吹き流しがなびく。雨が降ると、必死で紐(ひも)で下ろして店の中は七夕で一杯(いっぱい)なる。 浴衣着て下駄履いて友達と商店街の七夕を見る。素朴だが みんな昔は手作り。日々は流れ、80才を超えた。目を閉じると、必死に作った河原町の七夕飾りが映画のように流れる。(仙台市泉区・80代女性・無職)

和紙で作った飾り物で吹き流しが一番、印象に残っています。また、見物客の多さにびっくりでした。(宮城県利府町・80代男性・無職)

70代の回答

「小さな孫たちと一緒にいった七夕が忘れられない」

浴衣を着た小さな孫たちと一緒に行った七夕が、忘れられません。(仙台市泉区・70代女性・主婦)

転勤して来た年に初めて見た七夕は青葉通を通るバスの中から見えた一番町の七夕飾り。すごく感動しました。以来、ほぼ毎年見に行っています。(仙台市太白区・70代女性・主婦)

生まれ育った宮城に戻って5年になります。子どもの頃の七夕飾りはアーケードもなくて長いササに飾り、今とは違ってとても風情がありました。仕掛けもあったのも覚えています。学生の頃は紙屋さんで大きなくす玉をバイトで作ったりで、みんなで一生懸命手伝いました。今の七夕飾りはとても豪華になりましたが、見るたびに昔の七夕を思い出します。(宮城県名取市・70代女性・主婦)

小学生の時、弟と一緒に母親に連れられて市電に乗って七夕まつりに出かけた。昼食には冷やし中華を、途中の休憩の際にはソフトクリームを食べるのが楽しみだった。七夕飾りを見るよりも、印象が残っている。(仙台市泉区・70代男性・無職)

60年前の子ども時代。子供会でみんなで大きな七夕飾りを作りました。20cm以上もあるザル2個合わせてくす玉を作り、輪っかの吹き流しを付けるという本格的なものでした。毎年1年生から6年生までそれぞれの学年でできる事をしていました。乱暴者の男の子も神妙に花飾りのお花紙を蛇腹に折ったり広げたりしていたのが印象に残っています。(仙台市太白区・70代女性・無職)

「盛大な飾り付けと人の多さに驚いた」

75年前、小学生の頃、七夕まつりを見に両親に連れられ、山形から仙台に来ました。盛大な飾り付けと人の多さに驚いたものでした。(仙台市青葉区・70代男性・無職)

おおよそ40年前、名掛丁のアーケードを歩いている時、男性に声をかけられ、言い寄られた思いがあります!(仙台市若林区・70代男性・会社員)

高校生の時、七夕祭りの制作アルバイトをしました。アルバイト禁止の学校でしたが、なぜか七夕の折り鶴作りはオッケーでした‼️(仙台市青葉区・70代女性・無職)

小さい頃は仙台に行くのは修学旅行くらいの時代です。成人して自分の車で行った時の七夕は忘れられない思い出です。(宮城県登米市・70代男性・自営業)

昭和40年頃、両親に連れられて仙台駅に降りてビックリ。白い着物を着て楽器を演奏している人達がいた事です。あの頃、中央通から一番町までイッパイ飾り物や吹き流しが小学生の背丈で手に取って触る事ができたこと。(宮城県登米市・70代男性・無職)

「鎮魂」と「復興」のテーマで開幕した2011年の仙台七夕まつりの様子=仙台市青葉区一番町3丁目

「お茶屋さんの人形が楽しみだった」

個人商店、特にお茶屋さんに仕掛けられた人形の寸劇を見るのが楽しみでした。その人混みで更なる高揚感を覚えました。(仙台市青葉区・70代女性・無職)

学生時代、仙台に住んでいたが、当時も今も関心がない。七夕飾りはもっと質素だったような気がする。全国の著名な祭りは、どこも観光客を集めるための、あざといイベントと化している。私は町内全域が僻地(へきち)の雄勝町に住んでいるが、機会があったら是非桑浜(くわのはま)地区の白銀(しろがね)神社祭典をご覧ください。約50年前、元宮城県文化財保護委員三原良吉に伺った「県内に唯一残る『お祭りらしいお祭り』」です。(宮城県石巻市・70代男性・無職)

子どもの頃、家族で訪れた思い出がよみがえります。仕掛け物にくぎ付けになった事、夜店の品々を物欲しげに見て恨めしく思った事、肩車をしてほしかったけど、母と妹と行ったので無理だった事。(仙台市宮城野区・70代男性・無職)

初めて見た時は大きさと豪華さに驚いた。(宮城県塩釜市・70代男性・無職)

子どもたちの人気を集めた人形劇の準備の様子=1981年8月5日、仙台市内

「4人の子どもを連れて出かけた」

子どもの頃は戦争で片足をなくした方がアコーディオンを弾いていたのを覚えています。あと、お茶屋さんの所で、毎年いろいろな人形劇のような出し物をやってくれるのが楽しみでした。(宮城県富谷市・70代女性・パート従業員)

九重佑三子さんが藤崎前に来たこと。(仙台市青葉区・70代男性・無職)

共稼ぎだったので、休日に4人の子どもを連れて見学に出かけました。たまの外食に子どもたちは、大喜びでした。(仙台市宮城野区・70代男性・無職)

いつもワンパターン。(仙台市泉区・70代女性・無職)

仕掛けでしょうか⁇ 以前は何カ所かにあって 頭上からおばけが落ちてきたりして 子どもたちが大騒ぎしたのを思い出します。わが家では毎年みんなで七夕様を作り軒下に飾りました。今も小さい七夕様を作って飾っています。(仙台市青葉区・70代女性・無職)

「また動く七夕パレードが見たい」

今思い出せば、4歳頃の記憶がよみがえります(2年保育の幼稚園に通っていたので)。鮮明に覚えています。小学校の高学年あたりまで、姉と両親で見に行ったもんです。今思えば当時の飾り付けは素朴なながら味があったと思います。今年73歳になった小生は、中心部には出かけないが、近所の商店街の飾りを見て思いにふけています…(仙台市若林区・70代男性・無職)

住まいが旧花京院電停前だったので、七夕まつり中は、二車線の片側が駐車可なので嫌な思いをしましたが七夕祭りは、好きでした。(宮城県富谷市・70代男性・自営業)

子どもたちを連れてものすごい人混みの中、見に行き、危なく私が迷子になりそうでした!あと、自衛隊にいた時、動く七夕祭りで若者を指揮して、皆さんに統一団体美をお見せした時の喝采と拍手を頂き、みんなと喜びを分かち合いました。部隊の練習では炎天下のアスファルトでの不動の姿勢から順番に倒れ込み、手が火傷寸前で、まだかー!の声と頑張った若者たちを思い出しました❣️(宮城県塩釜市・70代男性・無職)

動く七夕と思います。華やかなパレード、自衛隊の片方によって行ったようですね。なぜやめたのでしょか?震災の時ほど自衛隊さんを誇りに思いました。また以前のように動く七夕パレードをお願いいたします。自衛隊さんへの感謝、感謝、感謝ですね。(仙台市青葉区・70代男性・パート従業員)

子どもが小さい頃は女房が連れて行ってたな。俺は休みになる年は一緒に行った。(仙台市泉区・70代男性・会社役員)

仙台七夕まつりにアクセントを加える仕掛け物=1980年8月7日、仙台市東一番丁通

「あのデパートで会える気がします」

子どもたちが、それぞれ自分たちで楽しむようになってからは、夫と七夕祭りには、出かけるようになりました。飾り付けや出店の趣味が合わず、いつもいつの間にか、隣にいなくなってしまっていました。そのうちに、藤崎デパートか三越デパートの入り口付近で、待っている事になりました。その夫も、2年前に急逝しました。今年コロナ以前の規模で開催される七夕祭りには、一人で出かけるつもりです。あのデパートで、会えるような気がします。(仙台市泉区・70代女性・無職)

綺麗(きれい)だな〜(仙台市青葉区・70代男性・自営業)

中学のとき、JRCの活動で早起きして一番丁周辺を清掃しました。早起きは苦手なのに、よく起きた思い出。(埼玉県・70代男性・無職)

七夕を見に行かなくなって何十年になるかな?静の七夕の時は見に行ってたけど、動の七夕になってからは行ってないな。最近、自分の周りでコロナ感染陽性者が結構増えています。七夕でコロナ感染拡大しない事を祈ります。(仙台市宮城野区・70代男性・自営業)

子どもたちに、是非一度は見せたいと思い、3人の子どもたちを連れていったこと。(宮城県涌谷町・70代男性・自営業)

「仕掛け物が面白かった」

子どもの頃、お袋に連れられて毎年行きました。仕掛け物が面白く、今のように自販機で飲み物が買える時代ではないので、昔は南町通にあった村上屋でかき氷を食べるのが子どもの目的でした。吹き流しがきれいとか立派な和紙だとかと感じたのは大学時代になってからです。(仙台市宮城野区・70代男性・無職)

宮城県の郡部に住んでいた小学生低学年の頃、両親に連れられて暑い中、七夕祭りを見に行った事です。かき氷を食べながら中央通と一番町を歩き、お茶屋さんのお店で仕掛け人形劇を見て非常に楽しかった思い出がありました。(仙台市太白区・70代男性・無職)

初めて見たのは40年ほど前になりますか?人の多さにびっくりして飾りを楽しむ感じはしなかった事を覚えています。仙台に住まいを構えた今はぶらり程度で行くつもりです。(仙台市青葉区・70代男性・契約社員)

昔の商店街で手作りの折り紙で七夕を祝う景色を思い出す。(宮城県多賀城市・70代男性・無職)

七夕の豪華絢爛(けんらん)の飾りは伝統を重んじ続けてほしい。歩く途中に飾りが頭や顔になびく風景は忘れがたい記憶である。欲をいえば、他の夏祭りは座るか腰掛けて見ているが、七夕は自分が歩かないと見れない。動く七夕を多くしてほしいものである。(宮城県亘理町・70代男性・主夫)

小学校低学年の時迷子になる。(仙台市泉区・70代男性・無職)

小6の時に仙台に越して来て、七夕は8月なんだと知りました。子ども会の七夕飾り作りを手伝って、麦茶と長なす漬けが出たのを思い出します。飾り付けが終わった後、 みんなで宮町の七夕を見ました。翌日は家族仙台駅前から一番町へ七夕見物でした。(仙台市太白区・70代男性・無職)

多くのアンケート回答者の心に残っている仕掛け物=1980年8月7日

60代の回答

「彼と手をつないで飾りの下を歩いた」

人が多く帰りが大変だったですね。(仙台市青葉区・60代男性・無職)

お茶屋さんの仕掛け物が毎年楽しみでした。また、学生時代は声をからして飲料の売り子をしました。(仙台市泉区・60代男性・会社員)

約40年前、彼とずっと手をつないで七夕飾りの下を歩いた。七夕飾りを買ってもらった。とてもうれしかった。今はない。(宮城県角田市・60代女性・主婦)

子どもの頃、最終日の終わる時間ぐらいに行ったら竹を切っていたのでもらって帰って来ました。 (仙台市若林区・60代女性・主婦)

40年ほど前の七夕見物中、テレビ番組収録で来ていたウィッキーさん(ワンポイント英会話)に遭遇しました。吹き流しの下でのツーショット写真を今でも持っています。♪(仙台市太白区・60代女性・主婦)

母親に手をひかれ七夕見物の最中、混雑の中、いつの間にか見知らぬ人の手を握り迷子に。(仙台市宮城野区・60代男性・無職)

「七夕のジンクスの雷雨になり急いで帰宅」

今よりも吹き流しが多かった頃、楽しかった。(仙台市泉区・60代男性・無職)

家族で楽しく七夕の飾りを見ていたら、七夕のジンクスの雷雨になり みんなで急いで帰宅しました。(仙台市若林区・60代女性・パート従業員)

震災後は、毎年孫たちと一緒に見に行っています。各小中学校手作りの七夕飾りで孫の小学校の名札探しが楽しみです。(仙台市泉区・60代女性・主婦)

いろいろな飾りを歩きながら見物し、さすが伝統的な祭りだと思った。(宮城県角田市・60代男性・無職)

現在67歳になる主婦です。私の実家は黒川郡で仙台は憧れの地でした。私(長女)が小学入学前(定かでない)、祖父母・両親・姉妹3人家族全員で七夕見学に連れてもらったのが最初の事です。人の多さに驚きはしたものの、頭上にやっと届く吹流しの中を必死で歩いた記憶があります。今は両親も祖父母も天空から祭りを見てると思います。(仙台市泉区・60代女性・主婦)

大雨の開幕となった1976年の仙台七夕まつり

「規模の大きさにたまげた!」

初めて見たときに、その規模の大きさにタマゲました!(仙台市宮城野区・60代男性・会社員)

仙台に来た当初の一度だけ「現場」を歩きました。通りの店の呼び込みの煩わしさ、すごさにもうたくさんという印象だけです。あまりにも余裕がない商店街のお祭り、と言った感じでしょうか。一度行けばたくさんですね。(仙台市太白区・60代男性・会社役員)

子どもの頃は、毎年必ず行くものだと思っていた。暑がりの祖母も「七夕さま」と言って、いつも一緒に出かけた。仕掛け物がとても楽しみだった。七夕が終わると、東北の短い夏も終わり、朝晩涼しくなり、夏休みの宿題に焦り始めた。(仙台市若林区・60代女性・無職)

小さい頃、親に連れられて行った記憶があります。昔、『動く七夕』というのがありましたが、内容は忘れてしまいました。(神奈川県・60代男性・主夫)

子どもの頃だった。石巻から仙石線に乗り、じいさんと、幼い私たち3人、連れて行ってもらったな。(宮城県石巻市・60代女性・会社員)

七夕飾りの一つとして「スペースシャトル」が飾られた。費用は130万円で、夜は豆電球が点滅するという=1981年8月

「動く七夕に感動」

小さい頃、母と七夕を見に行きました。某お茶屋さんの前で動く七夕を見て感動しました。それに、足元まで下がる吹き流しを通るのが楽しみでした。(宮城県大衡村・60代男性・公務員)

子どもの時、親に連れて行かれる時のバスの中でわくわくした思い出がありますよ。(仙台市太白区・60代男性・自営業)

以前SCSの宵祭りを見てかわいいと思った。(宮城県七ケ浜町・60代女性・パート従業員)

なし(仙台市太白区・60代男性・会社員)

覚えてない。(宮城県大崎市・60代男性・自営業)

行ったことないから分からない。(宮城県気仙沼市・60代男性・無職)

特にない。(仙台市宮城野区・60代男性・公務員)

病院勤務なので、診療報酬明細書の点検があり、七夕の最終日が締め切りなので、ゆっくり楽しんだことがない。でもニュースでにぎわっているのを見るのは楽しい。花火大会のニュースも楽しみです。団地内の商店や、子ども会の七夕まつり飾りも素朴でユニークで、ぜひ残してほしい。(仙台市宮城野区・60代女性・パート従業員)

「暑さと人混みに負けないくらい吹き流しが美しかった」

小学生の時に父親と母親と3人で一番町を歩き七夕を見た。その時、本屋で旧日本海軍の空母の写真集を買ってもらい、軍艦のプラモにハマるきっかけになりました。今は両親とも他界していますが、良い思い出です。(宮城県大河原町・60代男性・会社役員)

暑くて人混みで大変だけど、それに負けない吹流し等が美しかった。(宮城県利府町・60代女性・無職)

彼女と七夕デートしたこと。(仙台市青葉区・60代男性・会社員)

前夜祭の花火を見るために仲の瀬橋に陣取って食べ物を買ってくるとか、トイレとか家族のところに戻れなくて焦ったこと。(仙台市太白区・60代女性・パート従業員)

子どもの頃、お茶屋さんの仕掛け飾りを見て楽しんだり、ビックリしたり。(仙台市宮城野区・60代女性・無職)

主人との初デートが七夕祭りでした。子どもが生まれてから初めて仙台に行ったのも七夕祭りで、娘が虫に刺されて泣きながら歩いた思い出があります。(岩手県一関市・60代女性・公務員)

コアラの飾りも現れた仙台七夕まつり=1984年8月、仙台市の東一番丁通

「カラクリが楽しかった」

仙台市立の小学生、中学生の折り鶴が素晴らしかった。(仙台市太白区・60代女性・主婦)

吹き流しがとてもきれいで、子どもながらに、そこをくぐって歩くのが大好きでした。今はコロナなので、そんな事にはならないんだろうけどね。(宮城県大崎市・60代女性・主婦)

子どもの頃に両親に連れられて行きました。カラクリが楽しかったですね。(宮城県丸森町・60代女性・パート従業員)

子どもが小さい時に、七夕の間を楽しくぐり抜け、顔出し笑いが残っている。(宮城県利府町・60代女性・会社員)

子ども、父さんに浴衣を着て、家族で七夕を見に行きました。(仙台市青葉区・60代女性・専従者)

子どもの頃は七夕の時に露店が好きだった。(仙台市太白区・60代女性・アルバイト)

子供たちが心を込めた「小竹飾り」が仙台市一番町四丁目商店街のアーケードに取り付けられた=1988年8月2日

「かき氷販売のバイトをした」

動く七夕が定禅寺通で開催された時期がありました。自衛隊のトラックの荷台にきれいに飾り付けされたステージに感動した記憶があります。さら宮城ドレメの生徒さんたちが踊りながら行進する姿に元気をもらいました。もう一度、復活をお願いしたいですね。(仙台市青葉区・60代男性・パート従業員)

20代半ば、七夕期間にかき氷販売のバイトをしました。大きなかき氷の機械と大きな氷で作るのは初めてで、氷と格闘しながら作りました。地元民として参加できて良い思い出になりました。暑い夏でした。(仙台市若林区・60代女性・アルバイト)

人が多かった。(宮城県石巻市・60代男性・無職)

学生の頃、夏休みに中央通商店街でアルバイトをしていた時、昼休みに従業員の方々と七夕飾り作ったのが良い思い出です。(仙台市泉区・60代男性・無職)

お茶屋さんの店頭に、漫画のキャラクター等当時の人気者や話題の者が乱舞する人形の舞台がありました。(宮城県利府町・60代男性・会社員)

50代の回答

「自分で仕立てた浴衣で出かけた」

あやつり楽しかった。(仙台市太白区・50代男性・自営業)

子どもを肩車して七夕飾りに。子どもの顔が触れて喜んでたのを思い出します^ ^(仙台市若林区・50代男性・無職)

友人と自分たちで仕立てた浴衣を着て出かけた事。(仙台市泉区・50代女性・パート従業員)

七夕のいずれか雨に当たっていた記憶が強いですね。青葉通に出店がズラッと並んでたのが懐かしい…。 小さい時、仕掛け人形が怖かったなぁ。今年は猛暑でしょうから出向く予定はないです。近隣エリアの飾りを車中から偶然見れる程度で満足です。(仙台市太白区・50代男性・自営業)

自分が小さい頃から行っていた。子どもができて親子でも毎年行っている。吹き流しをめくりながら歩くのは楽しい。工夫、趣向を凝らした受賞作品を見るのも楽しい。平和七夕にも参加したことがあり、いろいろなメッセージを発信する場にもなっていることも良いと思う。(宮城県多賀城市・50代女性・公務員)

「出店を出していろいろな人と話ができた」

昔は吹き流しをかき分けて歩いたり、アーケードは歩行者も一方通行だったり、みそおでんがとてもおいしかった。(宮城県利府町・50代女性・パート従業員)

いまは分からないけど、40年前は、動く七夕という催しをしていた。ちょっと大きめの車に、カラフルに着飾った女の子たちが踊っていた。10代のティーンエージャーながらセクシーな踊りに心奪われ鼻血を出した。いまは亡き父に笑われつつ、ティッシュで鼻血を止めつつも、パレードが終わるまで見入っていた。タンザクのことよりもセクシーガールに夢中だった思い出です!(仙台市青葉区・50代男性・会社員)

飲食店に勤務していた時、出店を出していろいろな方々とお話できたことが思い出です。(宮城県大河原町・50代男性・会社員)

といかく人が多くて警官に誘導してもらいました。(仙台市宮城野区・50代男性・無職)

祖父母と行って喜んでくれた事。(仙台市青葉区・50代男性・契約社員)

当時2歳だった息子が七夕飾りの下でゲロを吐いて家族全員でパニックになりました。(宮城県利府町・50代男性・公務員)

昼すぎから雷雨に見舞われ、動く七夕パレードが中止になった年もあった=1975年8月6日夜、仙台市中央通

「父に肩車されて吹き流しの間を歩いた」

小さかった娘、息子に甚平を着せて、今は亡き仙台の実家の両親と一緒に見に行きました。普段は車移動の田舎に住んでいるので、人混みにアタフタしながらも、吹き流しに触れてみたり、願い事の短冊を付けたり、おいしいものを食べたり…楽しく過ごしました。最後は、歩き疲れた娘をカートに乗せて、息子はおんぶして地下鉄で帰りました。子ども連れは大変でしたが、孫と何十年かぶりの七夕まつりに行けた両親もうれしそうでした。(宮城県加美町・50代女性・パート従業員)

中央通を父に肩車されて吹き流しの間を触りながら歩いたこと。(仙台市若林区・50代女性・アルバイト)

花火楽しんだな〜 大昔ですけど。(仙台市泉区・50代男性・自営業)

混雑。(仙台市太白区・50代女性・パート従業員)

福島県郡山市出身、泉区在住者です。小学生の頃に家族で訪れたのが一番の思い出です。確か、定禅寺通でパレードを見た記憶があります。吹き流しがきれいですごく楽しかったです。(仙台市泉区・50代女性・会社員)

「ボランティアに出掛けた時に七夕を見た」

(あくまで個人的な過去の思い出です)震災直後の年、市内小学生の手で作製された折り鶴をまとめた飾りにとにかく圧倒された。また、中心部の大掛かりな飾りより、根白石地区や宮町通りの飾りなど、豪華ではないが質素で風情のある風にたなびく飾りが印象に残っている。(仙台市青葉区・50代男性・公務員)

前に被災地のボランティアに出かけた時にたまたま七夕でした。懐かしいです。(静岡県・50代男性・会社員)

15年前、仙台に転勤して最初の年に仙台七夕を見に行きました。蒸し暑く、巨大な吹き流しが吊るされているアーケードをただただ歩いてお祭り感はないなあと思いました。確かに紙でできているので屋外に吊るすのは難しいのだろうけど…。秋田の竿燈や青森のねぶたの躍動感は出せなくても、秋田湯沢の絵燈籠や弘前ねぷた、五所川原立ちねぶたのように静の中にも荘厳感があっても良いのにと思いました。(仙台市太白区・50代女性・主婦)

高校3年生の時に学校の夏期講習で仲良くなった友だち男女8人ほどで七夕を見に行きました。当時七夕に行くと大学受験に失敗するとのジンクスがありましたが、やはり半分の人が浪人になってしまいました…。(仙台市青葉区・50代女性・パート従業員)

大昔、子どもの頃に七夕まつりに行ったら目の前に飾りがドスンと落ちてきてぼうぜんとした記憶があります…(宮城県名取市・50代女性・パート従業員)

すごい暑かったな。(宮城県加美町・50代男性・会社員)

大勢の観光客らでにぎわった仙台七夕=2014年8月8日、仙台市青葉区中央2丁目

「動的な仕掛け物を見るのを楽しみにしてた」

飾りを自分も手伝ってみたい!と思い、知り合いのお店でお願いしたことがあります。とても素晴らしい七夕飾りを作るお店に頼んだこともあり、「少し」の量が自分の想像をはるかに超えていて、来る日も来る日も飾り作りをしたことがあります。美容院に行く時も、友だちとのランチの時も、少しの時間ももったいなくて作ってました。その後数年間お手伝いしましたが仕事をすることになりお手伝いを辞めましたが、今思い出しても良い思い出です。七夕祭りは市民参加型のお祭りじゃないので、このような機会があればかなり楽しめると思います。(仙台市若林区・50代女性・主婦)

40年ほど前の子どもの頃は静的な七夕飾りより、いくつかの店舗が行っていた動的な仕掛け物を見るのを楽しみにしていた記憶がある。(仙台市青葉区・50代男性・自由業)

とにかく人でいっぱい。活気に満ちあふれている。そのにぎやかさは、9日の朝には七夕飾りからゴミまでしっかりと片付いて普段と変わりない様子に戻っているのが、またすごい。(仙台市宮城野区・50代男性・公務員)

はるか昔に行ったのでよく覚えていない。(宮城県多賀城市・50代男性・会社員)

開業直前のディズニーシーの山車が来たのが一番の思い出です。小1の娘と娘のお友だち母娘4人で場所取りし、やっと時間が来たら娘のお友だちが「トイレ〜」。お友だち母娘は山車を見れずに終了。今になっても良い思い出です。(宮城県名取市・50代女性・パート従業員)

多くの読者の印象に残っている「仕掛け物」=1978年8月7日、仙台市東一番丁通

「ビル2階から動く七夕を見た」

私が小学校低学年の頃、祖母が北仙台に住んでいたので夏休みになるとお泊まりに・・・その時に、七夕へ連れて行ってもらい当時は動く七夕というのがあって、それを上から見るためにビル2階の喫茶店?に入り、そこで生まれて初めて、えびピラフを食べ、おいしさに衝撃を受け七夕の時期になると思い出します。(宮城県大衡村・50代女性・パート従業員)

幼少期、父が仙台でタクシー運転手をしていたので、七夕は本物を見せたいということで、連れて行ってくれました。からくり人形を見た記憶と、父の肩車を思い出します。(岩手県一関市・50代女性・主婦)

進学で来仙してから欠かさずに七夕を見に出かけていました。結婚、出産を経て2人の子どもたちを連れて、七夕飾りの中をくぐり抜けるのが楽しみでした。震災後は、子どもたちが折った鶴を使った学校ごとの鎮魂の七夕飾りを必ず見に行きました。ちなみに、私の両親がまだ交際中だった時に秋田から仙台へ来て、七夕デートを楽しんだという話を聞きました。七夕飾りの写真がアルバムに貼っていました。(仙台市宮城野区・50代女性・パート従業員)

転勤族のわが家。香川県高松市にいた時、習っていたゴスペルで現地のSさん、同じく転勤族のYさんとIさんと仲良くなりました。その後Yさん・Iさん・私はそれぞれ転勤で各地に移り、数年後東京で再会。その後、何とIさんと私は同時に仙台へ。2019年の仙台七夕まつりに、SさんとYさんが来てくれ、久々にゴスペラーズ4人組で集まりました。暑かったけれど忘れられない楽しい思い出です。(仙台市青葉区・50代)

「これからも思い出は重なり続けていく」

もう25年も前になります。主人と付き合い始めた頃、2人で初めての七夕に行くことになり、私は張り切って浴衣で行こう!と母に着付けてもらいました。地下鉄で移動中、何か変だなと思うと、着付けの打ち合わせが逆!!母を恨みますよね。それを主人に話すと、地下鉄を降りすぐに着物屋さんに駆け込んでくれ、着付け直しをお願いしてくれました。さっと動いてくれた主人に感動しました。その思い出はずーっと忘れられません。(仙台市泉区・50代女性・パート従業員)

宮城に住んでからはや33年。何度も、七夕には行きましたが。宮城に住む前の40年ほど前でしょうか。父親は小学4年生の時に亡くなりましたが。亡くなった数年後、父親の実家だった宮城に遊びに来ました。その時、伯母に連れて行ってもらった七夕は地元の七夕とは比べものにならないほど、たくさんの七夕。今でも、忘れられません。暑くて、夜になり喫茶店に入りました。そこが、子どもの私が初めて入った喫茶店でした。ペデストリアンデッキで撮った写真が、最近の断捨離で出てきました。七夕の思い出が詰まっています。これからも、思い出は重なり続けて行くことでしょう。(宮城県名取市・50代女性・主婦)

アーケード通りの七夕飾りは、1つ1つ違うので、とてもきれいなのと格好良く見え、大人になっても、行く度に、感動します。(宮城県多賀城市・50代女性・パート従業員)

観光客でにぎわった仙台七夕まつり=1978年8月7日、仙台市中央通

40代の回答

「盛大な学園祭って感じ」

40年以上前は、街のあちこちになぜかオバケ屋敷がいっぱいあった気がする。「伝統のお祭り」というより、「盛大な学園祭」って感じでしたね。「動く七夕」をやったあたりから、変に力が入りすぎて空回りしてる気がして、行く気なくなりました。(仙台市太白区・40代男性・自営業)

全然ないですね。(宮城県石巻市・40代男性・自営業)

フォーラス近くにあった動く仕掛け七夕が好きでした!音楽に合わせて動いているキャラクターが子どもの頃好きで、ずっと立ち止まって見てました。(仙台市泉区・40代女性・パート従業員)

40年以上前に、埼玉から祖父母が来て、七夕飾りの前で写真を撮り、それを小皿に印刷をしてもらったのを、いまだに待っています。あの当時は私も小さかったので、手に届くか届かないかを歩きながら触るのが、楽しかったです。今はもう小皿に印刷ってないですよね。(仙台市泉区・40代女性・会社員)

暑くて、肩車した子供にアイスかかき氷で汚れた七夕飾りのヒラヒラが顔に付いて、大泣き→地面降ろしたら、ダッシュで逃亡されてあわや迷子の危機でとても焦りました。(宮城県多賀城市・40代女性・会社員)

星空と七夕飾りの下、人波が続いた=1981年8月、仙台市の東一番丁通

「親とはぐれないよう必死でしがみついた」

吹き流しが長く子どもの頃は特に、親とはぐれない様に必死にしがみついて歩いた記憶。大人になってからカップルで歩いたりした際は、ぶつかりながらも一期一会のあいさつも、今となっては風情のある光景でした。今ではぶつかっても、にらまれたりして終わりなのかなと物悲しくなります。(山形市・40代女性・会社員)

まだ行ったことがない。(仙台市若林区・40代女性・専門職)

子どもの頃、母と叔母に連れられてアーケードの七夕を見ました!(東京都・40代男性・会社員)

子どもの頃、吹き流しをかきわけながら歩くのが楽しかった。(仙台市青葉区・40代女性・パート従業員)

子どもの頃、「動く七夕」を父に肩車してもらって観覧しました。(仙台市青葉区・40代男性・会社員)

歩きながら吹き流しに触ったりして楽しかった。(仙台市宮城野区・40代女性・主婦)

大勢の人でにぎわった2007年の仙台七夕まつり=仙台市青葉区中央二丁目

「ちょっと胸がぎゅっとなる」

小さな頃に母親と行った思い出。懐かしく&あの頃に戻ってみたくても戻れない…ちょっと胸がぎゅっとなります。(宮城県岩沼市・40代女性・会社員)

七夕祭りは今後行きたい。(東京都・40代女性・会社員)

盛岡出身の私が、小学1年生の時に家族と初めて七夕を見に来た時、あまりの人の多さと暑さにぐずっていたら、祖母に みんな同じなの!と叱られたこと22〜23年前、野外音楽ライブ?終わりのシャ乱Qが横断歩道の向かいにいて、つんくさーんと声を掛けたら手を振り返してくれたこと。(仙台市若林区・40代女性・パート従業員)

吹き流しをかき分けてくぐるのが、子どもの頃にはとてもワクワクする体験でした。また、一番町のいたがきで果物を食べて帰るのが定番でした。(仙台市宮城野区・40代女性・主婦)

20、30代の回答

「東北の短い夏を感じられる祭り」

子どもの頃、迷子になりそうになった思い出が。長男をベビーカーに乗せて行った時は三越前でパシャリと写真を撮りました。下の子たちは、まだ行ったことがありません。(宮城県柴田町・30代女性・主婦)

20年前の学生時代に初めて行った時に、垂れ下がる豪華な七夕飾りにとても圧倒されました。七夕飾りや人をかき分けながらアーケードを進むのは大変でしたが、東北の短い夏を感じられる醍醐味(だいごみ)のあるお祭りだと感じたことを思い出します。(仙台市青葉区・30代女性・主婦)

仙台の夏が来たという感じがする。(仙台市宮城野区・30代男性・会社員)

好天に恵まれ、大勢の観光客らが訪れた仙台七夕まつり=2006年、仙台市青葉区中央

「吹き流しを真下から見た」

今年は行きたいと思っていたが、コロナが急増しているのでやめた。自粛要請の有無にかかわらず、節度ある行動をすべき。(仙台市太白区・30代女性・公務員)

子どもと一緒に見に行ったこと。子どもが出店ではしゃいでいたこと。吹き流しを真下から見たこと。(仙台市青葉区・30代女性・公務員)

子どもの頃、お祭りと聞いて楽しみに山形から行ったものの、屋台などはなく、飾りだけかぁ…とガッカリした記憶があります(笑)(山形市・30代男性・会社員)

バイト先が混んだ。(仙台市青葉区・20代男性・会社員)

子どもが作った丁寧な七夕を見たこと。(仙台市泉区・20代男性・学生)

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