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東日本大震災 復興と詩と13年目の決心(1) 第一歩 閉ざした記憶、語り出す

ゼミ生に詩を披露し、震災の経験を語る佐藤さん(右)

 惨禍の体験は多感な中学生の胸に重く、暗く沈んだ。心の整理を詩に託しながら、行きつ戻りつ。消化し切れない私の気持ちを置いてけぼりにし、復興を急ぐ街。東日本大震災から13年。ようやく決心が付いた。やっと語れる。次世代につなごう。街と生きよう。石巻市のぞみ野の会社員佐藤ゆりかさん(27)が口を開く。(相沢春花)

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 震災当時、同市湊中2年だった。同級生2人を失った。「何であの子は死んで、私は生きているのだろう」。罪悪感にさいなまれた。自分だって、津波で自宅と両親が経営する水産加工会社が被災しているのに。心を閉ざしてしまった。

 避難所暮らし。大学ノートが配られた。中学3年の夏休みに、詩が浮かんだ。ぽつりぽつり、自分の心をつづり始めた。

 毎週会社の復旧に来てくれる大人に「勇気の種」をもらった。ありがとうの言葉を伝えたい。他人である佐藤さんに優しく寄り添ってくれるボランティアに。伝え切れない思いを詩に込めた。

 周りは皆、大変な思いをした被災者だった。数年後、進学した石巻専修大では多くの県内外の友達に出会った。震災を体験していない同世代がいることに、ようやく気が付いた。

 「私はある意味で貴重な体験をしたのかもしれない」

 発想の歯車が少しだけ回った。語り部をやってみたいなと頭をよぎった。

 街は徐々に新しくなっていった。「あの時の話は今更しない方がいいんだろうな」。そう思っていた。

 卒業後の2022年。在学中に所属していたゼミ主催の「竹こもれびナイト」を見に行った。犠牲者追悼の趣旨の下、学生は被災した住民と交流を深めていた。

 「学生がイベントで気軽に住民の震災の話を聞いて、語り継いでいけたら良いんじゃないかな」

 長らく明かせなかった震災の記憶。思い切って恩師の庄子真岐教授に話したら、語り部を頼まれた。

 今年1月、佐藤さんは現役のゼミ生に経験を語った。「揺れた時は自宅に1人でいました」。真剣に耳を傾ける学生。震災とは何だったのか。一緒に復興の歩みを振り返った。

 「語ることで、初めて震災と向き合うことができた」。記憶を覆ってきた黒い霧が晴れた気がした。

2011年夏ごろに作った詩。タイトルは「人」