昭和レトロ漂う港町の歓楽街で新プロジェクト 空き家改修、誘客スポットへ 宮城・気仙沼太田地区
かつて港町の歓楽街として栄えた宮城県気仙沼市太田地区の空き家を活用し、にぎわいを取り戻そうという試みが本格的に動き出した。誘客スポットの創出を目指す官民連携プロジェクトの一環。市内の若い世代が中心となり、昭和の残り香が漂うまちに新たな風を吹き込んでいる。
(気仙沼総局・藤井かをり)
古本屋や雑貨店、ギャラリーも
「太田空き家開き」と題したイベントが11月23、24の両日にあった。2日間限定で理容所だった建物はパンと雑貨の店に、民家だった場所は古本屋や喫茶店に変貌を遂げ、アートギャラリーもプレオープン。市内外から延べ約400人が訪れ、気仙沼湾に面した歴史ある一角の散策を楽しんだ。
古本屋で書籍を購入した市内の小山博史さん(73)は「太田がにぎわっていた最盛期の光景が脳裏に焼き付いている。最近は人通りが少なく寂しくなっていたが、若い人たちが懐かしさを感じさせる新しい場所にしてくれた」と笑顔を見せた。
活性化策を主導するのは、地区の西側にある市役所の移転に伴い、跡地活用策や周辺地域の魅力向上策を考える官民組織「気仙沼まちなかエリアデザイン会議」。約3年前から検討を重ね、対象の空き家6軒を選定するなどした。
不動産会社のコーディネーターが出店希望者をマッチングし、借り手が所有者に賃料を支払う仕組みを構築。今回のイベントは活用のイメージを持ってもらおうと企画され、内装などの改修はデザイン会議のメンバーらが手弁当でこなした。引き続き、事業者を募集しているという。
太田地区は戦後間もない1948年ごろから「太田租界」と呼ばれ、遊郭が立ち並んだ。58年の売春防止法施行後はスナックやキャバレー、遊技場などがひしめく歓楽街として発展したが、漁場規制や減船などで遠洋漁業を取り巻く環境が厳しくなるにつれ、空き家が目立つようになった。
近くに住む気仙沼高1年の脇田碧唯(あおい)さん(16)は「夜は暗くて怖かった。空き家が活用されればまちが明るくなる」と歓迎する。
プロジェクトの中心を担う地元出身のグラフィックデザイナー志田淳さん(32)はスナックだった地区内の店舗を購入し、アートギャラリーに改修した。市内外のアーティストが集う発表の場にするつもりだ。
「東日本大震災後、海沿いの風景は大きく変わったが昔ながらの街並みは今も残っている。あるものを活用し、歴史や文化を継承しながら歩いて楽しめるまちにしていきたい」と話す。
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