イナイリュウここにいた! 82年前の化石発見地に看板設置

82年前に化石が見つかったのり面付近に設置された看板

 幻の海生爬虫(はちゅう)類イナイリュウの存在と価値を顕彰しようと、1939年に化石が見つかった登米市津山町柳津宮沢の北上川右岸に看板が設置され20日、除幕式があった。
 式には発見者の孫で石巻市の元新聞記者鈴木孝也さん(71)らが出席。津山地域振興会の堀田耕平会長が「看板が地域活性化の一助になれば。多くの人に訪れていただきたい」とあいさつし、熊谷盛広市長らが除幕を行って設置を祝った。
 看板は縦1メートル、横2メートル。化石が見つかった道路のり面近くに設置され、当時の状況や学術的価値などが記されている。
 イナイリュウの化石は、鈴木さんの祖父で小学校教員だった故喜三郎氏が、新北上川の流路付け替え工事現場で見つけた。地層が「稲井層群」と呼ばれていたため、その名が付いた。
 イナイリュウは恐竜の祖先とされるノトサウルスの仲間で体長は推定1・3メートル。見つかった化石は長さ90センチ、幅30センチの胴体の一部の骨格で、旧東北帝大の担当者が鑑定し論文を書いた。当時は「日本最古の爬虫類」と注目されたが、その後化石が消失したため古生物の図鑑から削除された。
 鈴木さんは昨年8月に化石がなくなった経緯について東北大に質問状を送った。同大の学術資源研究公開センターは太平洋戦争中に山形県内に化石標本を疎開させた後に、行方が分からなくなったとした。
 その上で、化石発見の事実とイナイリュウがノトサウルスの近縁だとした論文の根拠が、現在も有効であるとの見解を示した。
 同大自然史標本館での企画展資料展示や、化石の再発掘調査などがある場合には、協力に応じることなども約束した。
 鈴木さんは「東北大から非常にありがたい回答を得た。地元の方々による看板の設置で、ますますイナイリュウ復権への意を強くした」と話している。

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