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津波の跡で 災害危険区域3167㌶―10年後の風景(下) 長面 人と伝統遠のく

変わり果てた古里を見つめる高橋宮司

 穏やかな内海を囲んで民家や水田が広がっていた集落は、一面の更地に変わった。東日本大震災前に146世帯、約500人が暮らしていた石巻市長面地区。ほぼ全域の約217ヘクタールが災害危険区域に指定され、かさ上げ工事などの重機だけが行き交う。

 「人が住まなくなって、シカなど動物のすみかになるのだろうか」。変わり果てた古里を見つめ、地区内の高台にある北野神社の高橋範英宮司(70)がつぶやいた。

 自然とともに、長い歴史を紡いできた。北上川河口で太平洋とつながる長面浦。山々からは沢水が注ぎ、ミネラルが豊富な汽水域を形成する。カキ養殖が盛んで、多様な生態系も育んだ。ともに300年以上続く奇祭「アンバサン」、正月行事「大般若巡行」など、独自の伝統文化も生まれた。

 積み重ねてきた営みはあの日、一瞬で奪い去られた。津波の犠牲者は103人で、地区全住民の約2割に及んだ。家屋のほとんどが流失か全壊し、1メートルの地盤沈下で広域が水没した。

<祭り継承に影>

 高橋宮司の家系は14代、約400年にわたって地域を見守ってきた。内陸に約20キロ離れた集団移転先の二子団地に暮らす今も、2~3日に1度は長面に戻り、地域の安全、発展を祈る。

 その度、まぶたの裏に浮かぶ光景がある。みこしが練り歩き、大勢の住民が通りを埋めた地域の祭りだ。祭りは震災後も、散り散りになった住民をつなぐ。しかし、運営の中心を担った氏子青年会や地区会が解散し、伝統の継承にも影が差す。高橋宮司は「仕方がないが、移転先の神社の氏子になった人もいる」と肩を落とす。

 住民のもう一つの心のよりどころは、長面浦の美しい景観だった。今は高さ8・4メートルの防潮堤に覆い隠された。数十年から百数十年に1度の津波を防ぐためだが、元住民からは「人が住まないのに、こんな高さが必要なのか」という声が漏れる。

 二子団地に移った永沼光男さん(70)は「美しい景色さえ残っていたら、足を運んでくれる人もいたかもしれない」と悔しさをにじませる。

<活用策見えず>

 かさ上げ工事などの市の低平地整備事業が終わるのは2022年3月の予定。移転元地のその後の活用策は決まっていない。高橋宮司は地区の行く末を案じる。「重機がいなくなった時にどう感じるか。10年たったが、展望は何も見えない」

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