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津波の跡で 災害危険区域3167㌶―活用の道(4完) 商業エリア 再びにぎわいの場に

JR女川駅(左)の駅前に整備された商業エリア。海岸広場(右)に向かうなだらかな傾斜の敷地にテナント型商業施設や自力再建の店舗が立ち並ぶ

 JR女川駅前に立つと、れんが道の向こうに女川湾が広がる。海の目の前に築かれた商業エリアには、生活と観光双方のニーズを満たす店舗が集まる。

 女川町中心部には東日本大震災前、湾を囲むように六つの商店街があった。震災の津波で約170あった店舗の全てが流失。町は復興事業で、その中心部に再びにぎわいの場をつくった。

 震災当時は町商工会職員だった町公民連携室室長の青山貴博さん(48)は「利便性が良く、まとまった土地を確保できる場所は他になかった」と振り返る。

<街全体かさ上げ>

 リアス海岸と山に囲まれた地形で、町中心部は少ない平地に建物が密集していた。町は平地を狭める高い防潮堤は造らず、街全体をかさ上げした。町民の生命と財産を守るため、住居は震災と同程度の津波でも浸水しない高台へ、商業エリアや企業用地をそれより低い災害危険区域に集約した。

 商業エリアは、女川駅前にテナント型商業施設「シーパルピア女川」や「地元市場ハマテラス」を整備し、被災した店主や震災後に起業した事業者らが入居した。周囲には自力再建の店舗も立ち並ぶ。

 「女川は生まれ育った街。ここ以外で商売する発想はなかった」。町内で営んでいた婦人服店が被災した島貫洋子さん(65)は2015年7月、駅前エリアにカフェを兼ねた店舗を再建した。海から距離は近いが、津波が来たら逃げればいいと決めている。

 かさ上げで海との高低差を確保しつつ、なだらかな傾斜で海を見渡せるようにした。景観を統一した美しい街並みの中では震災の影を感じない。それでも、津波のリスクは確かに残る。

<避難訓練怠らず>

 災害危険区域内の事業者組織「女川産業区」は、津波を想定した高台への避難訓練を毎年実施する。商店主らは自身の避難ルートだけでなく、観光客の誘導方法も確認する。島貫さんは「この街に来て命を落とさせるわけにはいかない」と話す。

 商業エリアは4月、既存施設を活用した「道の駅おながわ」として開業し、注目度が高まる。「10年かけてできた街を、これからどう育てていくか。産業育成と観光を推進し、選ばれる街にしないといけない」と青山さん。悲しい記憶の上に築かれたにぎわいの拠点は、震災の教訓を後世に伝えながら活力を生み出していく。

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