さよならサン・ファン号 復元から29年、写真で振り返る

幕府の軍艦咸臨丸(右)とともに大海原を進むサン・ファン・バウティスタ号。石巻漁港を出発し、仙台港に向かった=1993年10月28日午後1時半ごろ、宮城県鳴瀬町(現東松島市)の宮戸島沖(本社ヘリから)

 1993年に復元された慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の解体が10日、始まる。当時の文献資料を基に設計され、船大工の力を結集して作り上げられた過程やその後の歩みを、河北新報社に残る写真で振り返る。(編集局コンテンツセンター・藤沢和久)

進水式で北上川へ入るサン・ファン・バウティスタ号。くす玉が割れ、立ち会った人々から一斉に拍手が上がった=1993年5月22日、石巻市中瀬の村上造船所

500トンの木造帆船

 サン・ファン号は500トンの木造帆船で、1613年に仙台藩主伊達政宗が建造した。支倉常長をはじめとする約140人の日本人使節と、スペイン人約40人が乗り込み、同年10月28日に現在の宮城県石巻市月浦を出航したとされる。

起工式で公開された船体。船底の中央を通っているキールに、無数の肋骨(ろっこつ)材が立っている=1992年4月17日、石巻市中瀬の村上造船所

建造費、官民で出し合う

 復元船は使節団出航380周年記念事業として、官民が費用を出し合って建造された。1992年4月に起工式があり、93年10月に完成した。

 仙台港の「サン・ファン・フェスティバル」を皮切りに、東京港などでも公開された。96年8月、石巻市内にオープンした県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)に係留、常設展示されるようになった。

復元の鍵を握ったのは、少なくなった船大工たち。「20世紀最後で最大」とされた木造船の建造に、力がこもっていた=1992年4月、石巻市中瀬の村上造船所

老朽化で保存を断念

 2011年の東日本大震災では大きな被害を免れたものの、直後の強風でマストが折れ、13年11月まで休館した。

 船体の老朽化で16年3月から乗船できなくなった。県は大がかりな改修をしたとしても10年程度しか持たないとして、17年に保存を断念。解体した上で、4分の1の大きさで繊維強化プラスチック(FRP)製の後継船を造ることにしている。

船首を東に向けて停泊しているサン・ファン・バウティスタ号。東日本大震災と強風で被災したマストなどの修復工事が進んでいた=2013年1月24日、石巻市渡波の県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)

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