元知事高橋和雄さん死去 「山形発展の礎築く」 関係者ら悼む声

河北新報社のインタビューに応じる知事当時の高橋氏=2003年12月

 山形県職員を経て1993年から知事を3期12年務めた高橋和雄さんが8日、91歳の生涯を閉じた。約半世紀にわたり県政発展に力を尽くした重鎮の突然の訃報に、関係者からは驚きとともに功績を思い返して死を悼む声が相次いだ。

 副知事として99年から約6年間支えた金森義弘さん(81)は8日夜、弔問に駆け付けた。「前日までお元気で『雪かきでもするかな』と言っておられた、と聞いた」と惜しんだ。

 現役当時の姿を「表向きは非常に優しくて穏やか。やる気を内に秘めた方であり、先頭に立って動いた」と振り返る。山形新幹線の新庄延長などを目指し、上京のたびに中央省庁を相手に粘り強く当たった。「説得力があった。12年の短期間に難しい、大きな仕事を成し遂げた」

 盟友の故岸宏一元参院議員、故鹿野道彦元衆院議員らとの連携も印象的で、「『わゆうさん』と呼ばれ、人が集まってきた。県職員の気持ちも分かる方だった」としのんだ。

 2005年1月の知事選で高橋氏の4選を阻んだ前知事で国際教養大客員教授の斎藤弘さん(64)。当時74歳と47歳の戦いは4477票差の結果で「天のミラクル、因縁を感じた」。高橋氏が全国で初めて導入した少人数学級編成「さんさんプラン」を「先見の明があった」とねぎらった。

 「県民党を掲げ、政党の垣根を越えて山形に尽くす懐の深い政治家だった」と話すのは、坂本貴美雄県議会議長(74)。新庄市議会副議長として、ともに上京して新幹線延長を要望した思い出などを語った。

 1996年に大手ゼネコンから2000万円入りの笹かまぼこの包みで献金が申し込まれたとの疑惑も取り沙汰されたが、高速道路や県立保健医療短大の整備、総合支庁の創設など実績も残した。吉村美栄子知事は「本県発展の礎を築かれた」と感謝し、冥福を祈る談話を発表した。

参院選に立候補した自民党現職の出陣式であいさつする知事当時の高橋氏=2004年6月、山形市内の神社
山形大教育学部存廃問題で、懇談会終了後に仙道富士郎学長(左)と記者会見する知事当時の高橋氏=2003年6月、山形市内
山形大教育学部存続を求める山形県内の教育関係者と懇談する当時、知事の高橋氏(右から3人目)=2002年=6月12日、山形県庁

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