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東日本大震災11年 「命を守る」心に刻む 石巻地方各地で祈り

津波と火災の爪痕を残す石巻市震災遺構門脇小に西日が影をつくる。かつて地域の児童が学び、遊んだ校舎は、震災の教訓を伝え残す場に生まれ変わり、4月3日からの一般公開を待つ

 東日本大震災は11日、発生から丸11年となる。甚大な被害を受けた石巻地方では、多くの人がこの日を特別な思いで迎えた。今なお、尊い人命が失われた喪失感は消えない。今後、震災を知らない世代が増えていく。「3.11」からの11年をしっかりと心に刻み、未来の命を守る教訓の伝承を続けていきたい。

<きょう3市町で追悼行事>

■石巻市

 石巻市は石巻南浜津波復興祈念公園内の市慰霊碑前で追悼式を開く。

 時間は午後2時半~午後4時。献花は午後5時まで受け付ける。遺族代表や来賓ら約80人が出席。黙とうをささげた後、斎藤正美市長が式辞し、遺族代表や参列者が献花する。歌手の長渕剛さんが参加し「ひとつ」など3曲を「献歌」として披露する。

 市内各地区にも献花場を設ける。市河北総合センター、雄勝総合支所、遊楽館、桃生総合支所、北上総合支所、牡鹿保健福祉センターで、時間は午前8時半~午後5時。

■東松島市

 東松島市の追悼式は午後2時半から市大曲地区体育館(矢本東市民センター東隣)で開く。犠牲者の遺族や市民向けに約250席を用意。受付時の検温や手指消毒、座席間隔の確保など感染対策を講じる。

 無宗教形式で、渥美巌市長の式辞や黙とう、来賓の追悼の言葉の後、参列者が献花する。今回から遺族代表の言葉は取りやめる。

 東日本大震災から11年を迎え、追悼式の規模を縮小することなどから、会場を従来の市民体育館から移した。例年通り、大曲・赤井、野蒜・小野の2路線で送迎車を運行する。

■女川町

 女川町は自由献花方式の「追悼のつどい」とし、町役場敷地内の東日本大震災慰霊碑前と町生涯学習センターホールに献花場を設ける。

 例年の式典方式から変更して実施。献花時間は午前9時~午後4時で、献花用の花は町が用意する。地震が起きた午後2時46分に防災行政無線でサイレンを鳴らし、慰霊碑前で須田善明町長らがあいさつする。

 町生涯学習センターホールには震災遺構「旧女川交番」の周囲に設置されているのと同じ内容のパネルを展示し、かつての町並みや復興の歩みなどを伝える。


<行方不明者いまだ696人>

◆東日本大震災の主な被害状況(2月28日現在、県まとめ) 
 =単位は人、棟、人口は2010年国勢調査

      人 口  直接死 関連死 行方不明  住家全壊  住家半壊
石巻市  160,826  3,277  276   417   20,044  13,049
東松島市  42,903   1,067   66    22    5,519   5,558
女川町   10,051    593   22   257    2,924    349


 県がまとめた震災の被害状況(2月28日現在)は、表の通り。

 震災犠牲者は、石巻市が直接死3277人、関連死276人の計3553人で、行方不明者は417人。東松島市は直接死1067人、関連死66人の計1133人で、行方不明者は22人。女川町は直接死が593人、関連死22人の計615人で、行方不明者は257人。3市町の行方不明者は696人。

 住家被害は石巻市で2万44棟が全壊、1万3049棟が半壊。東松島市は全壊5519棟、半壊5558棟。女川町は全壊2924棟、半壊349棟。

 関連死を含め死者・行方不明者が約6000人に上った石巻地方。ハード整備はほぼ完了し、震災前の街並みや景観は一新された。

 一方、なりわいの再生は道半ばだ。販路や売り上げが震災前の水準まで戻らず、苦境に立つ事業者は少なくない。復興需要の終息に新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちを掛ける。ロシアのウクライナ侵攻による世界経済への影響も新たな懸念材料だ。

 高齢化が進む被災地。心の復興は最重要課題だ。コロナ下で交流事業や訪問活動が制約を受ける中、災害公営住宅などで暮らす住民が孤立しないよう、心のケアの充実が求められる。

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