閉じる

発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>遺跡って何?

【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】

第1部 石巻地方を考古する

<過去の人が残した痕跡>

■楽しく深掘りを

 1984年に「ふらり歴史散歩」と題したコラムが石巻かほくに41回にわたり連載されました。当時の石巻かほくの記者と石巻地方出身の考古学者で高校教諭であった三宅宗議さん(私の恩師でもあります)がセスナ機で石巻地方の著名な遺跡を上空から眺めて写真撮影し、遺跡の出土品などを合わせて掲載して面白く紹介したものです。後に『空から「考古」する』という冊子にまとめられ、刊行されました。とても分かりやすく興味を引く内容で、私は今でも時々読み返すことがあります。

 この連載はそれに負けないように楽しく深掘りしてみようと思い「発掘!古代いしのまき」と名付けました。

 第1回は遺跡についてお話しします。時々、新聞やテレビのニュースで「〇〇遺跡で新発見!」とか「日本最古の〇〇遺跡」とか目にすることがあります。「遺跡」と聞くとなにか昔のモノとか古いモノといったイメージがあります。

 「遺跡」って何でしょう? 私は大学の最初の講義で学生にアンケートを取っています。その設問の一つに「あなたの知っている遺跡を書いてください」があります。その回答では「三内丸山遺跡」、「吉野ケ里遺跡」、「大仙古墳(仁徳天皇稜)」、「高松塚古墳」や海外の「ピラミッド」、「マチュピチュ」、「万里の長城」などがよくあります。宮城県内の「仙台城」「多賀城」を挙げる人もいます。ほとんどが中学、高校の教科書に写真入りで紹介されている超有名な遺跡です。小学、中学の社会科見学や総合学習で行ったり調べたりした「沼津貝塚」や「里浜貝塚」などの地元の遺跡を挙げる人もいます。

 「遺跡」とは過去の人が大地に残した痕跡のことをいいます。人々が生活した集落の遺跡、土器や鉄、塩、コメなどを生産した遺跡、お墓の遺跡や城跡や役所の遺跡などいろいろな種類の遺跡があります。ほとんどの遺跡は地下にあって地表面から遺跡の内容を知ることは難しいものです。遺跡を取り扱う法律である文化財保護法では遺跡のことを「埋蔵文化財」と呼びます。

■「遺構」と「遺物」

 もう少し詳しくいうと、遺跡は「遺構」と「遺物」で構成されています。遺構は地面に残された痕跡の中でも個別のモノで、例えば住居跡とか井戸跡などがそれに当たります。遺物は過去の人が加工した道具などのモノのことで、土器とか石器、骨角器などのことです。集落遺跡は複数の住居や倉庫、井戸、広場、ごみ捨て場などで構成されますから、関連し合う遺構と遺物のまとまりが遺跡ということになります。

 地下にある遺跡はどのようにしてできたのでしょうか? 例えば昔の人々が引っ越しした場合、廃虚となった住居は自然に朽ちて何年、何十年もたつと埋もれてしまいます。その上に風や洪水で運ばれた土で覆われ林や森になったりします。こうして地下に遺跡が残されていくのです。

 文化財保護法では、周知の埋蔵文化財のうち、国の歴史上重要なものを「史跡」(=重要文化財と同等)、さらに重要なものを「特別史跡」(=国宝と同等)として指定しています。石巻地域では「沼津貝塚」「里浜貝塚」「赤井官衙(かんが)遺跡群」が国史跡に指定されています。

■全国に47万カ所

 ところで遺跡の数はどのくらいあるのでしょうか?

 全国には46万8835カ所の遺跡があります。ちなみに宮城県の遺跡数6252カ所、石巻地方の遺跡数は549カ所が登録されています。遺跡の規模も大小さまざまです。現在私たちが生活しているところは昔の人も生活に使っていたわけですから、至る所に遺跡があるわけです。しかも、地中に残されているので発見されていない遺跡もまだまだあるはずです。皆さんの家や畑の下、身近なところにも遺跡が眠っているかもしれません。

関連リンク

関連タグ

最新写真特集

石巻かほく メディア猫の目

「石巻かほく」は三陸河北新報社が石巻地方で発行する日刊紙です。古くから私たちの暮らしに寄り添ってきた猫のように愛らしく、高すぎず低すぎない目線を大切にします。

三陸河北新報社の会社概要や広告、休刊日などについては、こちらのサイトをご覧ください

ライブカメラ