発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>プロローグ 古墳時代、他地域と交流
【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】
2021年10月3日、石巻市開成の石巻市複合文化施設(マルホンまきあーとテラス)内に石巻市博物館がオープンしました。東日本大震災で被災した石巻文化センターの復旧に伴うものです。
私はこの博物館の開設に展示学術監修アドバイザーとして先史・古代の分野の展示に関わり、微力ながらお手伝いすることができました。石巻市博物館のコンセプトは前身の石巻文化センターとほぼ同じで、「海と川の交流によって育まれた石巻人のスピリット」です。
新しい博物館は平成の大合併で広域になったふるさと石巻の歴史を知ってもらう場でもあります。
■遺跡や資料が豊富
石巻地方には国史跡沼津貝塚、国史跡里浜貝塚、中沢遺跡、寶が峯遺跡、南境貝塚、新金沼遺跡、新山崎遺跡、五松山洞窟遺跡、国史跡赤井官衙遺跡群(赤井官衙遺跡・矢本横穴)、桃生城跡、田道町遺跡、須江窯跡群、水沼窯跡、石巻城などの各時代を代表する重要な遺跡や毛利コレクションをはじめとする貴重な資料が豊富にあります。
地元にある遺跡や出土品などは教科書に出てくる事柄と関係ないと思っている人が案外多いようです。耳なじみのない遺跡もありますが、教科書に出てくる史実と関連性が強く、実は日本の歴史にとってとても重要な遺跡も多いのです。新しい博物館は石巻の歴史・文化に触れる導入口なのです。
■常に変化する歴史
ところで、学校で学んだ「歴史」は人類の過去の出来事なので、ずっと変わらないと思っている人もいるかもしれません。しかし、決してそうではないのです。「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」と記憶した中世、鎌倉時代の始まりは、今では1185年に守護・地頭任命権が認められ平氏を滅ぼした年になりました。江戸時代の日本は「鎖国」していたと学びましたが、今は「鎖国」令も出されておらず、教科書から「鎖国」の言葉は消えています。
世界最古の土器である縄文土器は最終氷河期が終わった1万年前ごろに登場したと習いましたが、今や氷河期中の1万6500年前に日本で土器が登場していることが分かっています。このように歴史の研究・発見によって歴史も常に変わっているのです。
旧石巻文化センター開館から35年たつ間に石巻地方の歴史を詳細に語ることができるようになってきました。その要因の一つは1993年以降、「石巻の歴史」(全10巻)が刊行されたことにあります。
各時代・各分野の第一線で活躍する研究者によって執筆・編集された「石巻の歴史」は日本の歴史と対比して通史的に叙述され、刊行から20年余りたった現在でも日本を代表する自治体史として注目され、活用されています。
■新発見・情報相次ぐ
もう一つの要因は、遺跡の発掘調査によって新しい情報や発見が相次ぎ、これまで分からなかった時代の具体的内容が明らかにされたことです。貝塚に偏っていた縄文時代の情報は東日本大震災後の牡鹿半島部の発掘調査で集落の様子が明らかにされ、古墳時代には東海地方、関東地方の文化が流入し北海道の人々との交流が行われたりしたことが分かり、飛鳥・奈良時代の中央政府が石巻地方を治めるために造営した「牡鹿柵」や「桃生城」の具体的内容が判明したことなど発掘調査によって数多くの新知見がもたらされました。
さらに、幕末から明治期の分野では石巻地方の旧家に残る古文書等を継続的に研究して蓄積された成果が公表されています。
この連載(紙上)では、遺跡の発掘調査や出土品の研究から分かった先史・古代のいしのまき地方の歴史をちょっと深掘りしていきたいと思います。
(次回から水曜日掲載予定)
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