発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>いつから人が住んでいたの?
【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】
第1部 石巻地方を考古する
<7500年前には定住始まる>
「考古学」は人類が登場してから現在までを研究する学問です。石巻地方にはいつから人が住んでいたのでしょうか?
まず、人類の誕生と広がりを見てみましょう。アフリカでチンパンジーの祖先から進化した人類が地球上に登場したのは約700万年前のことです。400万~300万年前には直立2足歩行する猿人が登場し、猿人の一つから原人に進化して180万~110万年前にその一部はユーラシア、西アジア、東アジア、東南アジアに広がっていきました。
1970年代まではアフリカ、ヨーロッパ、アジア各地の原人からそれぞれ旧人、新人(ホモ・サピエンス)に進化した「多地域進化説」が一般的でしたが、現在ではアフリカで約30万~20万年前に進化を遂げた新人がヨーロッパ、中央アジア、東アジア、東南アジア、オーストラリアへ広がった「新人アフリカ起源説」が有力で、人類学やDNA遺伝学からも裏付けられています。アフリカを出た新人はヨーロッパのネアンデルタール人、西アジアのデニソア人の旧人と共存し一部は交配していたことがDNA解析で分かっています。東アジア(中国)には約4万5000年前に到達しています。
■丸木舟で日本へ
4万年前の日本列島は氷河期で海水面が低いとはいえ、海に囲まれた島でした。新人は丸木舟を作り人力で海を渡ってきたと考えられます。2019年に国立科学博物館の海部陽介さんの研究チームが、台湾から与那国島へ丸木舟で渡る実験に成功したニュースを見た方もいると思います。
日本の旧石器時代の研究は2000年に「旧石器捏造(ねつぞう)事件」で振り出しに戻りました。現在、日本で公認されている最古の新人のいた遺跡は約3万8000年前の熊本県石の本遺跡と静岡県井出丸山遺跡です。その後日本各地に広がり、1万6000年前から始まる縄文時代よりも前の後期旧石器時代の遺跡は約1万カ所に上ります。
宮城県内でも仙台市富沢遺跡や村田町籠沢遺跡、加美町薬莱山麓遺跡群など86カ所が登録されています。しかし石巻地方では、まだ発見されていません。今後の調査で旧石器人が石巻にもいた痕跡が発見されるかもしれません。
■平野部、ほぼ海中
先史時代の石巻はどのような地形だったのでしょう。幼少の頃、祖父母から「昔の石巻は海の中だった」「地層の中からアンモナイトとか貝の化石が出てくるから」と聞かされたものです。確かに太古の日本列島は海の中だったのですが、人類が登場する頃には陸になっていました。
1万2000年前に最終氷河期が終わり、急激に温暖化して海面が上昇します。約7500年前の縄文時代早期末~前期初頭頃は海が最も内陸に進んだ「縄文海進」と呼ばれる時期で、遠田郡美里町や登米市佐沼の辺りまで海が入り込んでいました。石巻の平野部はほぼ海中で、さらに追波湾まで海でつながっていたようです。その後、北上川や迫川の河川の土砂運搬によって自然堤防や浜堤が発達し陸化が進みます。約2000年前には現在の地形がほぼできあがりました。旭山丘陵の周りや稲井の貝塚は海が近かった時期に形成されたものです。
■丘陵に生活の場
石巻地方で今のところ最も古い遺跡は縄文早期末の石巻市渡波にある梨木畑貝塚で、約7500年前頃のものです。遅くともその頃には定住し始めたようです。約7000年前頃の縄文時代前期初頭には石巻市南境の南境貝塚、給分浜の中沢遺跡、北村の桑柄貝塚、東松島市宮戸の室浜貝塚、野蒜の金山貝塚など、丘陵部に生活の場が広がっています。