発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>どうして何年前って分かるの?

【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】

<科学と地層で新旧を検証>

■古い日本の記録

 日本のことを記した最も古い記録は、中国の『漢書地理誌』に書かれた「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う」という紀元前1世紀(2100年前)ごろのことを書いた漢字19字の記事です。それより古い日本の記録はありません。その後、『後漢書』東夷伝に建武中元2(西暦57)年に「倭の奴国、奉貢朝賀す。使い人、自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜うに印綬を以ってす」とあり、他にも何度か中国に使者を送っています。

 また、有名な『魏誌』東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に邪馬台国女王卑弥呼の記事が出てきます。いずれも弥生時代のことです。5世紀の出来事を記した『宋書』蛮夷伝、本紀には古墳時代の倭の五王が朝貢した記事があります。

 これらはいずれも中国の歴史書に記載されたもので、日本を知る断片的な資料です。日本で最初に編さんされた『日本書紀』は初代天皇から持統天皇(7世紀末)までのことが編年体(年代順)で書かれていますが、奈良時代の養老4(720)年に完成したもので、それまでの伝承を記録したものが多く信ぴょう性に欠けるところが多くあります。『日本書紀』以降、国の正式な歴史書として『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三大実録』が編さんされました。これらの歴史書は国家に関わる出来事を記したもので、地方の記事はあまり多くありません。文字で分かる年代ですら断片的な記録しか残されていないのです。

■二つの法則 応用

 考古学で扱う遺跡や出土品の年代はどうして分かるのでしょう。遺跡の土層や出土した土器には年号は書かれていませんから、実年代を決めることはできません。地層は特別な場合を除いて、風雨や火山灰が降り積もったりして徐々に上に土が堆積します。下にある層が古い地層になります。地質学では、化石が出土した地層を観察して下の層から発見されるモノが上の層から発見されるモノより古いという法則(「地層塁重の法則」)と、同じ地層から出土したモノは同じ年代のモノであるという法則(「地層同定の法則」)を用います。考古学でもこの法則を応用して新旧を決めます。

 例えば、貝塚の地層を観察して下の層から出土した土器は上の層から出土した土器よりも古い、というようにです。このようにして決めた、古い、新しいの関係を「相対年代」といいます。ただし、この方法では普段私たちが使う実際の年代(西暦〇年とか)は分かりません。そこで、放射性炭素分析法やフィッショントラック法、年輪年代法などの理化学的、自然科学的な分析を使って実年代を推定します。この年代を絶対年代(理化学年代)と呼びます。

 これとは別に、モノとモノを比較して古い、新しいを考える方法があります。新幹線の車両を考えてみましょう。私たちが乗っている新幹線は1964年に東海道新幹線が完成してから、たくさんの車両が開発されてきました。より早く運航するように車体は空気抵抗を減らし流線形に、重さも軽くするよう改良されてきています。私たちは初期の「0系こだま号」から現在の「N700系のぞみ号」まで十数種類の新幹線を古い順に並べることができます。同じ「新幹線」という車両もその形や大きさ、外装、あるいはエンジンなどから新旧が分かるのです。これと同じように古い形のモノから新しい形のモノへ変化する特徴を捉えれば新旧の順番を見つけることができるかもしれません。とは言っても、正確に見つけ出すのは難しいので、先に述べた地層の上下で新旧を検証していきます。日本全国の年代の新旧関係と並行関係を構築するのは気の遠くなる作業です。

■最も古い出土品

 さて、石巻地方で年号の分かる最も古い出土品は、石巻市田道町の田道町遺跡から出土した「延暦十一」(792年)と墨で書かれた木簡(木の板の書簡)です。桓武天皇が平安京に都を移転しようとしている頃に当たります。その次が鎌倉時代から盛んに建てられた板碑(供養碑)です。

関連タグ

河北新報のメルマガ登録はこちら
石巻かほく メディア猫の目

「石巻かほく」は三陸河北新報社が石巻地方で発行する日刊紙です。古くから私たちの暮らしに寄り添ってきた猫のように愛らしく、高すぎず低すぎない目線を大切にします。

三陸河北新報社の会社概要や広告、休刊日などについては、こちらのサイトをご覧ください

企画特集

先頭に戻る