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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>考古学が解き明かす歴史の実像

日本で最初の正式な歴史書「日本書記」と遺跡の内容を記録した「発掘調査報告書」(イメージ)

【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】

第1部 石巻地方を考古する

<祖先の暮らし浮き彫り>

 「発掘!古代いしのまき 第1部・石巻地方を考古する」では、石巻地方の先史・古代の歴史の中でもトピックになる事柄や意外と知らなかった事柄、教科書で学んだ内容と違った新しい事柄、歴史の事象と石巻の関わりなどを取り上げてお話ししてきました。その他にもまだまだ知られていない石巻の歴史があります。

■祖先特定できず

 例えば自分たちのルーツ。私たちの祖先はどこからやってきたのでしょう。4万年前に海を渡ってきた旧石器人なのでしょうか。それともそれ以前に大陸から来た人々なのでしょうか。豊かな漁労・採集文化を育んだ縄文人なのでしょうか。大陸から稲作を伝えた弥生人なのでしょうか。古墳時代に大陸の技術・文化を伝えた渡来人(とらいじん)なのでしょうか。縄文時代以降も長く狩猟・採集をなりわいとした北海道の続縄文人(ぞくじょうもんじん)なのでしょうか。いまだ分かっていません。

 アフリカで生まれたホモサピエンスがユーラシア大陸を北へ南へ東へ旅して広がる中で、時には旧人や他の新人と交配しながら、4万年前に日本にたどり着いたと考えられています。その後、日本各地に遊動しながら自然環境に適した縄文文化を生み出し、本州島から北海道まで広く定住するようになります。後の弥生人や渡来人、さらには世界各地の人種と混血しながら現在の日本人が生きているのです。

 近年のDNA分析では、縄文人の遺伝子の割合を多く持つ人やユーラシア大陸南東地域の遺伝子の割合を多く持つ人、北方の遺伝子の割合を多く持つ人などさまざまで、日本人の祖先が一つに特定できないことも分かってきました。

 考えてみれば、数万年の間に、特に明治時代以降のグローバル化は国内はもとより、世界各地の人々との混血を生み、現在の日本人が存在していますから当然のことです。DNAの分析が進むと、各時代のヒトの動きや混血の状況も分かり、どのように現代人につながるかが明らかにされるでしょう。

■文化の境界地域

 さて、先史・古代の石巻地方は遺跡の発掘調査成果からも『日本書紀』『続日本紀』の文献史料からも、人や物が頻繁に大きく動いた結節点であり、文化の交錯する境界地域であることが分かってきました。

 日本の正式な歴史書として編さんされた『日本書紀』『続日本紀』は編年体(時系列順)で史実を書き連ねています。しかし、『日本書紀』の前半部は伝承が多く潤色(じゅんしょく)もあります。

 また、基本的にヤマトを中心とした為政者(いせいしゃ)の立場で書かれていますから、地方のことはあまり記述されておらず、政治的な事象がほとんどです。そのため、『日本書紀』『続日本紀』の記述のみでは異民族とされた蝦夷や地方の具体的な様子は分かりません。

 一方、考古学の手法である発掘調査では、土の中に埋まってしまって現在目に見えていない過去の人々の生活した痕跡が掘り起こされ、新しい発見が相次ぎます。私たちの祖先がどんなところで生活し、移動していったのか。海のそばに、川のそばに、小高い丘の上に住居を建て、ムラをつくり環境に適した空間を選択して生活していた様子が分かります。

■ムラつくり生活

 どんななりわいだったのか。海や川の漁労の道具や食べた貝や魚、山や丘での狩猟・採集の道具や得た動物の骨、平野部を開墾して水田や畑の耕作の道具や米、粘土の採れる山では焼き物を焼き上げる窯や工房、焼き上げた土器、森林の一部を伐採しての木器づくりなども地下から現れます。

 精神文化の遺構ではお墓の跡や祭祀(さいし)の跡、土偶、卜骨、副葬品も出土します。腐ったり壊されてさえいなければ、私たちの祖先のありとあらゆる生活の様子が浮き彫りにできるのです。

 考古学の調査成果と文献史学の研究成果を突き合わせて考えることで、石巻地方の歴史はより鮮やかに描き出されてくるのです。

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