杜の都はいかにして「ジャズの街」になったか 盛衰の歴史伝える書籍刊行

 仙台のジャズシーンの軌跡を熱くたどる「かしむのなしは 仙台ジャズの歴史」が刊行された。著者は、仙台市の常設寄席「魅知国(みちのく)定席 花座」席亭の白津守康さんと、札幌市のライター椎浪真平さん。仙台のジャズ界を彩った多士済々へのインタビューなどを基に、第2次世界大戦後から1980年代までの盛衰を伝える。白津さんは「貴重な記憶や証言を次代に残せた」と話す。

出版記念のトークショーでエピソードを披露する白津さん(左)と椎浪さん=4日、仙台市宮城野区のダテリウム

392人のミュージシャンが登場

 本書はA5判、428ページ。2部構成で200点を超す写真とともに392人のミュージシャンを取り上げる。第1部は、白津さんが2003~08年、地元の経済誌「仙台経済界」に連載したエッセー「かしむのなしは」(27話)に、ミュージシャンらの列伝などを加えた。

 「かしむのなしは」は、昔の話(むかしのはなし)の逆さ読み。ジャズ関係者が好んで使うスラングだ。多くのダンスホールやキャバレー、ジャズ喫茶が魅力を競った1960~70年代の仙台の繁華街、個性あふれる面々の心意気、才能が集う情熱的なセッションといった話題に触れる。

 第2部「杜の都のジャズはいかにして形づくられたか」は、白津さんの蓄積を土台に椎浪さんが追加取材して書いた。日本のジャズ110年の歴史を解説し、仙台との関わりをあぶり出す。

出版を記念して9月上旬にあった仙台JAZZの歴史展。看板パネルは本書に掲載された写真を一堂に並べた=仙台市宮城野区のダテリウム

ルイ・アームストロングも仙台で演奏

 仙台にジャズの旋風が吹いた戦後、多くの若手ミュージシャンが進駐軍キャンプ内などのクラブや日本人経営のダンスホール、キャバレーで腕を磨いた。大きく盛り上がった50年代前半には「サッチモ」の愛称で知られた本場米国のジャズの王様ルイ・アームストロング(1901~71年)も、仙台に足を運び、進駐軍の将校クラブで演奏した。

 高度経済成長時代には、実力を蓄えた地元ミュージシャンが大型のキャバレーで粋な音色を奏でたが、70年代末にピンクキャバレーなどの台頭で衰退。培われた気風は、91年に始まった「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」に受け継がれていく。

歴史展のパネルで紹介された貴重な写真。進駐軍キャンプ内のクラブでジャズが演奏された。本書に詳しい

花座席亭の白津さんらが執筆

 今や伝説となった店の場所が分かる地図、仙台にあったダンスホール、キャバレー、ジャズ喫茶など155店のリスト、店の広告やジャズコンサートのパンフレットなども掲載。黄金時代を追体験できる。

 単行本化の構想はエッセー連載終了直後からあったという。資料などが多く、白津さん1人での作業が難しくなり、ジャズ愛好家の椎浪さんと5年ほど前に出会って出版にこぎ着けた。

 「おだづもっこ(仙台弁でお調子者)とも言うべき人たちの熱量を感じてほしい」と白津さん。椎浪さんは「読んだ方それぞれに楽しみが見つかると思う。読後は曲も聴いてもらえたらうれしい」と語る。

「かしむのなしは 仙台ジャズの歴史」(今野印刷、3000円)
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