あの時、君は若かった 東北楽天、多士済々「ドラ1」列伝・前編(2004~11年)
20日に迫ったプロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)。各球団の思惑や戦略が交錯し、ペナントレースとはひと味違った筋書きのないドラマが繰り広げられる。東北楽天が2004年の新規参入決定から昨年までに1位で指名した選手は21人。競合による抽選の結果、多士済々の「ドラ1」たちの活躍を振り返る。前編は04~11年の11人を紹介する。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)
2004年 一場靖弘投手(明大)

50年ぶりにプロ野球に新規参入した東北楽天が初めて迎えたドラフト会議で獲得したのが一場。大学球界ナンバーワンと評された右腕は巨人、阪神、横浜からの金銭授受問題で進路が宙に浮いていた。オリックスとの分配ドラフトで先発投手を十分に確保できなかった東北楽天は即戦力の補強が求められており、自由獲得枠を行使。地元で人気のダルビッシュ有投手(東北高)の獲得は断念した。一場は戦力が整わない新球団の屋台骨を懸命に支えたが、素質を開花しきれず4年で15勝にとどまった。09年開幕前にヤクルトに移籍し、12年限りで現役を退いた。通算91試合、16勝33敗、1セーブ、防御率5.50。主な同期入団は平石洋介外野手(トヨタ自動車)ら。
2005年(高) 片山博視投手(兵庫・報徳学園)

広島と競合したが、島田亨球団社長が抽選で引き当てた。身長191センチの大型左腕で、報徳学園高の永田裕治監督は「バッターとしてなら1年目から出られる」と話すほど、野手としての評価も高かった。3年目の08年に1軍デビューし、7月のロッテ戦で3安打完封し、初勝利を飾った。10年から救援として1軍に定着し、2年連続で50試合登板を果たした。その後は左肘のけがに苦しみ、打者転向や育成降格を経て、17年オフに戦力外で退団した。通算206試合、8勝16敗、48ホールド、防御率3.13。主な同期入団は銀次内野手(岩手・盛岡中央高)ら。
2005年(大社) 松崎伸吾投手(東北福祉大)

希望入団枠で松永浩典投手(三菱重工長崎)の獲得を目指したが、西武との争いに敗れた。東北楽天だけが参加できた1巡目で、前年の全日本大学選手権で優勝した地元・東北福祉大の主戦松崎を指名した。貴重な左の先発として即戦力を期待されたが、思うような活躍を見せられなかった。6年目まで2勝にとどまり、11年オフに上園啓史投手との交換トレードで阪神に移籍し、12年オフに現役を退いた。通算43試合、2勝16敗、防御率6.04。主な同期入団は青山浩二投手(八戸大)、草野大輔内野手(ホンダ熊本)ら。

2006年(高) 田中将大投手(北海道・駒大苫小牧)

横浜、オリックス、日本ハムとの競合による抽選で、島田球団社長が引き当てた。2年連続最下位の東北楽天が交渉権を獲得したことについて、田中は「本当の意味での挑戦者になれる」と晴れ晴れとした表情で話した。エースナンバーの背番号「18」を背負い、1年目から11勝(7敗)。高卒新人としては松坂大輔投手(西武)以来の2桁勝利で、新人王に選ばれた。その後、チームの大黒柱としての活躍は改めて言うまでもない。13年は前人未到の開幕24連勝で、チームを初のリーグ優勝、日本一に導いた。14~20年は米大リーグの名門ヤンキースで活躍し、21年に8年ぶりに古巣に復帰。日米通算200勝まであと10勝に迫っている。通算は日本で223試合112勝56敗、3セーブ、防御率2.47。大リーグで174試合78勝46敗、防御率3.74。

2006年(大社) 永井怜投手(東洋大)

希望入団枠で仙台市出身の岸孝之投手(東北学院大)の獲得に意欲を見せたが、西武との競争に敗れた(岸は16年オフ、海外フリーエージェント権を行使し、東北楽天入り)。事前申請した希望枠での獲得を見送ったことで、東北楽天だけが1巡目指名し、本格派右腕の永井の交渉権を得た。永井は1年目に7勝(7敗)を挙げると、09年に13勝して球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献した。10年は10勝し、2年連続2桁勝利を果たした。11年に右肩を痛めて以降は計3勝で、15年限りで現役を退いた。通算154試合、43勝43敗、防御率3.65。主な入団同期は嶋基宏捕手(国学院大)、渡辺直人内野手(三菱ふそう川崎)ら。
2007年(高) 寺田龍平投手(北海道・札幌南)

仙台市出身の快速右腕佐藤由規投手(仙台育英高)を1位指名したが、ヤクルト、横浜、中日、巨人との競合による抽選で逃した。強運で知られた島田球団社長もこの時は空振りだった。東北楽天は寺田を「佐藤投手に匹敵する好素材」と評価し、早い段階から佐藤を逃した場合の1巡目候補と位置付けていた。しかし、右肩のけがの影響もあり、プロの壁を乗り越えられず、1軍出場機会がないまま、11年オフに戦力外となった。
2007年(大社) 長谷部康平投手(愛知工大)

北京五輪アジア予選の日本代表最終候補にアマチュアからただ一人選ばれていた長谷部には西武、広島、ロッテ、中日も1位で入札。5球団による抽選で、島田球団社長がドラフトの目玉の最速152キロ左腕を引き当てた。ルーキーイヤーの開幕直前に痛めた左膝のけがに長く悩まされ、先発としては09年の5勝が最多だった。13年は主に中継ぎとして24試合に投げ、防御率1.83の好成績でチームのリーグ初優勝に貢献。16年オフに現役を退いた。通算110試合、11勝19敗、3セーブ、11ホールド、防御率5.37。主な同期入団は聖沢諒外野手(国学院大)ら。
2008年 藤原紘通投手(NTT西日本)

05年に始まった分離ドラフトが撤廃され、高校生と大学生・社会人が一括で指名される制度になった。中日と競合した野本圭外野手(日本通運)を抽選で外したが、即戦力左腕の藤原を阪神との競合の末に獲得した。藤原は1年目の09年春季キャンプで左肩を痛めて出遅れたが、8月のオリックス戦で鮮烈な初勝利を飾った。1安打、98球、打者27人で仕留める「準完全試合」の完封劇だった。その後は度重なるけがに泣き、13年限りで現役を退いた。通算22試合、6勝8敗、1ホールド、防御率5.22。主な同期入団は辛島航投手(福岡・飯塚高)ら。
2009年 戸村健次投手(立大)

米大リーグ挑戦を封印して国内の球団入りを表明した150キロ左腕、菊池雄星投手(岩手・花巻東高)を1位指名するも、西武、阪神、ヤクルト、中日、日本ハムとの競合による抽選で逸した。本格派右腕と評価が高い戸村を単独指名した。戸村は3年目にようやく初勝利するなど、なかなか開花できなかった。それでも、15年は自身最多の7勝、17年は予告先発に代わる2度の緊急登板を務めるなど泥くさい仕事を黙々とこなした。19年オフに現役を退いた。通算107試合、17勝25敗、1ホールド、防御率4.35。
2010年 塩見貴洋投手(八戸大)

星野仙一監督が就任後初めて臨んだドラフト会議で、大石達也投手(早大)を1位指名。星野監督は西武、横浜、広島、オリックス、阪神との競合による抽選を外したが、ヤクルトと指名が重複した大学球界屈指の左腕塩見を引き当てた。塩見は05年の松崎(東北福祉大)以来となる東北関係の1位となった。1年目に左腕投手として球団で初めて規定投球回を投げ、9勝9敗、防御率2.85の好成績を残した。制球が良く四球が少ないが、被本塁打が多いのが玉にきず。21年は1試合、今季は1軍登板なしに終わり、復活が待たれる。通算149試合、46勝56敗、防御率3.78。主な同期入団は美馬学投手(東京ガス、現ロッテ)ら。
2011年 武藤好貴投手(JR北海道)

左腕の藤岡貴裕投手(東洋大)をロッテ、横浜との競合による抽選で外し、社会人の即戦力として武藤を単独指名した。しかし、武藤は1年目の春季キャンプでアーム式のような独特の投球フォームを矯正されたことをきっかけにイップスに陥った。4年目の15年にようやく1軍に定着し、自己最多の60試合登板とフル回転した。その後は右肘痛の影響もあり、17年オフに戦力外となった。通算85試合、4勝4敗、1セーブ、8ホールド、防御率4.96。主な同期入団は島内宏明外野手(明大)ら。
[くじを引いた東北楽天関係者と交渉権を引き当てた競合選手]
05~09年 島田社長(09年はオーナー)=片山、田中、長谷部、藤原
10~11年 星野監督=塩見
[「ドラ1」21人の内訳]
▽投手17人、内野手1人、外野手3人
▽高卒9人、大卒9人、社会人出3人
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