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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>移民の墓 矢本横穴墓群 Ⅳ

矢本横穴14号墓の人骨出土状況。3体の埋葬人骨が進展した状態で出土した(「矢本横穴墓群II」より、東松島市教委提供)
矢本横穴64号墓の人骨出土状況。移民と在地民と考えられる人骨が一緒に埋葬されていた(「矢本横穴墓群I」より、東松島市教委提供)

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第3部 律令国家の形成と境界域の石巻地方

<里に住む人全体を埋葬>

 矢本横穴墓群には、革帯(かくたい)や「大舎人(おおとねり)」の墨書土器、「和同開珎」の古銭から推察される古代牡鹿郡の役所に勤めた役人が葬られていることが分かります。しかし、古代の地方官人はごく限られた人しかなれませんから、200基もあるとされる墓の多くは一般の人のお墓ということになります。古代の役人以外にはどのような人が葬られたのでしょうか。それを知る手掛かりは人骨そのものにあります。

■人骨に手掛かり

 人の骨の中で一番よく残るのは歯です。歯は大きさや形状、すり減り具合から年齢を推定することができます。また、頭蓋骨や骨盤を調べることで男性・女性の性別が分かります。また、骨の部分的凹凸や眉間の形状など細部を観察すると違いが見えます。彫りの深く目の大きな顔や、のっぺりとして目の細い顔のように現代人でも違いを感じることがあると思います。骨を分析するといろいろなことが分かります。さらにDNAまで調べることができれば、血縁や大陸のどのようなルートで矢本横穴までたどり着いたのか、祖先から受け継いだ情報が分かります。

 矢本横穴墓群出土の人骨は元国際医療福祉大の瀧川渉さんが分析しています。人骨の出土状況は埋葬時の状況をそのままとどめるものは少なく、多くが集骨・改葬とみられる状況で出土しています。瀧川さんの分析では、矢本横穴墓群で1つの墓に葬られる被葬者は最低でも2人分の遺体、最高で9~10人分、通常は6~7人程度まで葬られていたと推測されました。

 また、その年齢構成はおおむね成人以降の人が葬られている墓が多く、年齢推定可能なものに限れば、未成年は6人だけでした。中には6~9歳の少年、5歳ごろの幼児も認められました。

 各横穴には男女が葬られており、被葬者の性差は認められません。64号墓のみ男性だけが葬られていました。

■移民と蝦夷、共に

 資料的な制約もあって全出土人骨の形質的特徴を明らかにはできませんが、頭蓋の遺存状況が良好で計測・比較ができる資料は15人分ありました。これらを日本各地で発見された古人骨と比較すると、10人が東日本古墳人に近く、4人が東日本縄文人や北海道続縄文(ぞくじょうもん)人に近いという結果が出ました。

 また、非計測的特徴の比較でも、多くの個体が土井ケ浜・金隈弥生人や東日本古墳人に近い関係を示しましたが、中には北海道続縄文や東日本縄文人に近い関係が認められるものや、東日本縄文人と古墳時代人の両者に近い値を示す人もありました。

 これらの結果から矢本横穴墓群の被葬者は東日本古墳時代人に近い形質を持つ者が多いことが分かりました。しかし、中には北海道続縄文や東日本縄文人に近い形質のものも認められ、64号墓は両者が同一の墓に葬られていることも明らかになりました。この状況は牡鹿地方の6世紀後半~7世紀前半の五松山洞窟遺跡の状況と極めて類似しています。東日本古墳時代人に近い人骨は関東地方からの移住者、北海道続縄文や東日本縄文人に近い人骨は在地あるいは北日本の人々、東日本縄文人と古墳時代人の両者に近い人骨は移民と在地民の融合した結果なのでしょうか。

 さらに詳しい遺伝情報を求めてDNA解析を試みましたが、出土した人骨にタンパク質が遺っていなかったため残念ながら分析することはできませんでした。

 古代も戸籍で住民を把握していました。現代は婚姻や出産で新しい戸籍を作ったり加えられたりします。親と子の2世代家族だと3~4人くらいで1戸、祖父母、親、子の3世代家族だと6~7人くらいで1戸になります。正倉院に遺る古代の戸籍をみると、叔父家族など同じ戸籍に入っていて、1戸あたり平均20人といわれています。古代の行政機構は国-郡(評)-里(郷)-戸のいわゆる「国郡里制」です。里(郷)は今でいう町や村に当たる単位で、50戸で一里(郷)にまとめて数えられます。1戸20人と仮定すると一里(郷)は1000人になります。

■老若男女が眠る

 矢本横穴墓群は200基の墓があると推定されていますから、一つの墓に6人葬られているとすると、1200人の墓域ということになります。一里(郷)全体の墓域と考えられるのです。

 矢本横穴墓群は豪族や地方を治めた役人のみならず、幼児から高齢者まで男性も女性も関東からの移民(柵戸)も在地の蝦夷も分け隔てなく埋葬された一つの里(郷)全体の墓域だったのです。そして役人が勤務する遺跡は赤井官衙(かんが)遺跡ですから赤井官衙遺跡(牡鹿柵)に住む人々全体の墓域と考えられるのです。

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