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「栄光の161キロ、代償の1771日」 宮城が生んだ速球王由規、涙と歩んだ引退までの野球人生(下)

 仙台市が生んだ速球王、由規投手(本名・佐藤由規)が2024年シーズン限りで、17年間の現役生活に幕を下ろした。2月1日のキャンプインからヤクルトの指導者として新たに歩み出すのに際し、由規の野球人生を振り返る。

 仙台育英時代の07年夏に甲子園史上最速の155キロをたたき出し、高校生ドラフト1巡目で入ったヤクルトでは10年に日本人選手初の160キロ超え(161キロ)を記録。一躍、球界の将来を担う希望の星となった。

 しかし、つかの間の輝きだった。翌11年から右腕のけがに悩まされる。手術を経て16年7月に1771日ぶりの1軍マウンドへ戻ったが、18年限りでヤクルトを退団。19年以降は東北楽天、独立リーグのルートインBCリーグ埼玉、台湾の楽天モンキーズ、埼玉復帰と流浪した。

 由規を突き動かしたのは、応援してくれる人たちへ恩返しの思い。特にけがして以降は念願の表舞台に立つ度に、感謝して目を潤ませた。「涙」とは、由規が愛される理由そのものだった。(スポーツ部・金野正之)…

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