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40年来の懸案「仙台藩刑場跡」仙台市教委が所有へ  地権者が高齢化、寄付を申し出る

供養塔などが並ぶ仙台藩刑場跡を紹介する島貫さん

 仙台市教委は、江戸時代の刑罰の歴史を物語る泉区七北田の仙台藩刑場跡の所有権を取得すると決めた。元々は地元住民の共有地で高齢化や相続によって管理が難しくなり、寄付の申し出を受け入れた。近く所有権移転の手続きを終えて、名所・旧跡としての保全や市民への啓発を目指す。郷土史家らは「40年来の懸案が解決し、将来に受け継いでもらえる」と喜ぶ。(編集部・喜田浩一)

[仙台藩刑場跡]江戸時代初期は仙台城下の琵琶首(仙台市青葉区)に刑場があったとされ、その後1666年に米ケ袋(青葉区)、90年に七北田村(泉区)の奥州街道沿いに移った。殺人や放火などの重罪を犯した人が城下の牢屋(ろうや)から移送され、処刑された。刑場は今の県道上にあったとみられるが、大正期以降、地蔵や供養塔が現在地に集約された。

郷土史家「将来に受け継いでもらえる」

 寄付を受けるのは県道仙台泉線西側の約170平方メートル。処刑された人を弔う石の地蔵や供養塔などが並ぶ。昨年、地権者側が手続きを一本化するため、地元の寺に所有権をいったん移した。市教委は寄付の意向を示す文書を寺から受け取り、今年1月に移転登記の手続きに入った。

 地権者らによると、刑場跡では昭和期の毎年6月、住民らによる念仏講や刑場跡保存会の供養会が開かれたが、次第に廃れたという。1980年代以降、市への寄付を模索したものの、意思統一が進まなかった。12人だった地権者は相続によって二十数人に増えた。

 2020年以降になって地権者のうちの1人が主導して全員に権利放棄の意思を確認。市教委に寄付を打診した。この地権者は「放っておけば、さらに権利関係が複雑になる。ラストチャンスだった」と胸をなで下ろす。

 市が名所・旧跡の寄付を受け入れるのは1990年、若林区霞目の「谷風の墓公園」を取得して以来となる。江戸時代に活躍した第4代横綱谷風梶之助の墓石などがある。

 市教委の長谷川蔵人文化財課長は「刑場跡は旧泉市時代から行政側が草刈りをしてきた経緯があり、今後も保全に努める。市民への啓発も検討する」と話す。現在の場所が刑場のあった所と異なるといった理由から、市の文化財として指定する予定はないという。

 地元の郷土史家、島貫裕さん(95)は「忘れられかけていた旧跡に日が当たるきっかけになってほしい」と期待する。

 県道沿いには、罪人に末期の水を与えたとされる場所に青笹不動尊があったが、所有者の意向で最近撤去されたという。

 仙台藩に縁の深い輪王寺など北山五山の寺を観光客に案内してきた北山ガイドボランティア(青葉区)の吾妻信夫会長(83)は「刑場跡だけでも残って良かった。歴史に関心を持つお客さんから足を伸ばしたいと要望されたこともあり、重要な旧跡として継承してほしい」と話した。

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