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仙台一高や仙台二華中高の母体となった「東華学校」の遺址碑 市民団体が保存求め、市に要望へ

JT宮城支社内に立つ東華学校遺址碑(右)と案内板

 仙台・宮城の中等教育の原点とされ、仙台一高や仙台二華中高の母体となった私学校「東華学校」の遺址(いし)碑について、同校ゆかりの人らが今月、保存を求めて市民団体を結成した。碑が立つ仙台市若林区五橋の日本たばこ産業(JT)宮城支社の敷地は、3月の支社移転に伴い更地にされる計画で、碑の行方が不安視されている。団体は最寄りの五橋公園(仙台市青葉区)への移設を求め、公園を所管する市に要望書を3月中に提出する方針だ。(せんだい情報部・菅野俊太郎)

[東華学校] 「世界に通用する人材を育てる」という理念で、元仙台藩士の富田鉄之助(第2代日銀総裁)と松倉恂(初代仙台区長)が発起人となり、開校した私学校。宮城英学校として仮開校した1886年には130人が入学。翌年、東華学校と改称し、新島襄が校長を務めた。90年の教育勅語発布を機に国粋主義的な風潮が強まり、教壇に立っていた外国人宣教師が総辞職。92年に廃校に追い込まれた。劇作家の真山青果、衆議院副議長を務めた内ケ崎作三郎、河北新報を創刊した一力健治郎らが学んだ。

JT宮城支社移転、一時「取り壊しやむなし」

 団体の発足会は14日、仙台二華中高の生徒会館「二華会館」であり、名称を「東華学校遺址碑の保存を求める市民の会」と決定。市に提出する要望書の文面を固めた。

 会の構成は、仙台一高と仙台二華中高の同窓会に加え、東華学校初代校長の新島襄が創設した同志社大の校友会県支部、地元のむにゃむにゃ通り商店街商興会の4団体。それぞれの代表が共同代表に名を連ねた。

 碑は東華学校の閉校から40年後の1932年、現在の仙台一高同窓会にあたる県第一中同窓会が、学校跡地の若林区清水小路に建立した。高さ約3メートル、幅約1メートルの石製。教育理念の「SEEK TRUTH AND DO GOOD」(真理を求め善をなせ)などの文字が刻まれている。

 跡地はその後、旧大蔵省たばこ専売局を経てJTが所有。2002年には敷地の一部売却計画に伴い、碑は南東に約300メートル移され、JTは脇に案内板を設置して重用してきた。

 同志社校友会県支部なども13年から毎年、JTの協力を得て「碑前祭」を開き、東華学校の精神を顕彰してきたが、JTが昨春に宮城支社の移転を決定。碑の保存を模索する動きが同支部を中心に巻き起こった。一方で、移設の用地と費用の工面という壁は高く、一時は「取り壊しもやむなし」(関係者)の流れになったという。

「解体費用を移転費用に転用を」JT側に打診

 風向きが変わったのは、窮状が関係者に伝わり始めた昨秋以降。「廃棄という最悪の事態を避けるためにも、市民の声を連帯して行政に伝える必要がある」と、仙台郷土研究会が仲介役となって会の設立が実現した。JT側に「碑の解体費用を移転費用に転用してもらえないか」と打診。同社は歴史の重さを踏まえ、検討している。

 仙台一高同窓会の佐浦弘一会長(62)は「仙台の近代教育の原点を伝える遺址碑が、学校があった場所の近くで伝承されることを切に望みたい」と市側の理解に期待する。

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