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<みやぎ ひと 道>前宮城県知事 浅野史郎さん完全版を連載中 無党派の巨人? パフォーマンス知事? 半生をつぶさに語る

知事選当選を報じる新聞を見る浅野さんと妻の光子さん。人生を支え合う=1997年10月27日

 無党派の巨人、情報公開の旗手、本籍地は福祉―。前宮城県知事の浅野史郎さん(76)を表す代名詞だ。1993年、ゼネコン汚職にまみれた県政のかじ取り役に当選。情報公開を推進し県庁のあしき慣習だった食糧費やカラ出張の不正支出にメスを入れた。

 脱政党の選挙スタイルは県民に深く浸透。政党や団体とのしがらみを断ち軽妙な語り口で改革を唱える姿は、従来の知事像をがらりと変えた。障害福祉の深化をライフワークに据え、改革派知事の一人として地方自治の針路も追求した。

 議会や職員とのあつれきは少なくなく「パフォーマンス知事」との批判は絶えなかった。3期12年を務めた2005年、「権力は陳腐化する」と退任。地位に固執しない引き際を示した。その後、東京都知事選での敗北という挫折を経て成人T細胞白血病(ATL)との闘いを乗り越えた。

 運命とも言える多くの局面で浅野さんを突き動かしたのは何か。半生をつぶさに語ってもらった。(聞き手は吉岡政道)

紙面連載に大幅加筆

 前宮城県知事の浅野史郎さん(76)の半生をたどる「みやぎ ひと 道」を昨年11~12月、紙面で連載しました。インタビューは長時間に及び、記事化できなかったエピソードが数多くありました。。連載に加筆した「完全版」を河北新報オンラインで展開します。

各回を読む

(1)ゼネコン汚職で古里混乱 霞が関から選挙への道探る
(2)知事選出馬を決断 汚職に怒りこみ上げる 支えになった母の言葉
(3)決戦直前 激励と圧力が交錯 気持ちはジェットコースター
(4)仙台二高同期「一八会」が旋風 知事選で政党候補に挑む 県民に汚職の怒りを訴え
ゼネコン汚職を回顧する浅野氏

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