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わがこと 防災・減災/第9部・職場の備え(2)企業/集団避難、住民も動かす

白衣のまま避難するアマタケ従業員の姿が、地域住民の避難を促した(イラスト・栗城みちの)
津波が引いた後を想定し、大船渡市役所まで集団で移動するアマタケの防災訓練=2012年11月

 企業の避難の決断が、従業員だけでなく地域住民の命も救った。

 大船渡市の鶏肉加工・販売「アマタケ」の本社は海から約2キロ。東へ約400メートル行くと、盛川が流れる。東日本大震災の発生時、社屋には約400人の従業員がいた。

 防災訓練は火災しか想定していなかった。揺れの後、訓練通りに全員が本社の敷地に整列した。

 当時常務だった専務の村上守弘さん(54)は午後3時すぎ、防災無線が予想される津波の高さを3メートルと伝えるのを聞いた。「ここまでは来ないかな」。10分後、カーナビでワンセグ放送を見ていた社員が、沿岸部に10メートル近くの津波が押し寄せることを告げた。

 10メートルという数字に悪寒が走った。避難を即断し、約600メートル先にある高台の市民文化会館への移動を指示した。

 30人ほどが村上さんを取り囲み、財布や携帯電話を取りに戻りたいと口々に言ってきた。事態は一刻を争う。「駄目だ! 命が大事だから逃げるんだ。言うことを聞け!」と一喝した。パートの女性たちから順に白衣姿のまま、移動を始めた。

 午後3時20分ごろ、製造部長の佐藤雄司さん(48)は、最終グループで避難を始めた。敷地を出るとドーンとごう音が響き、思わず振り向いた。

 大船渡湾に面したセメント工場の方から大量の白煙が上がっていた。「津波が来た」と直感した。間もなく、用水路の下流から土煙が上がった。周囲の従業員と一斉に駆けだした。村上さんは、恐怖で動けなくなったり、過呼吸になったりした中国人研修生6人を車2台に乗せて、社屋を後にしたが、渋滞に遭った。盛川を逆流した津波が行く手を阻む事態を懸念し、車を捨てて内陸の市役所に向かった。

 従業員が集団避難する姿は、周辺の人たちにとっては驚きだった。近くの自動車整備工場で働く美野房子さん(71)は本震後、1人で事務所を片付けていた。大津波警報は知っていたが、大丈夫だろうと高をくくってしまった。付近は1960年のチリ地震津波でも浸水しなかった。

 大声がしたので外を見た。白衣姿の一群が声を掛け合いながら、続々と移動していた。急に不安に襲われた。病院から戻ってきた夫(77)の車に乗り込み、市役所に逃げた。その直後、事務所は約2メートル浸水した。

 「叫びながら逃げていてとても目立った」「海側から来たので、危険だと分かった」。従業員の移動ルート沿いに住む多くの住民が危機を感じ取り、避難していた。

 従業員の行動は図らずも周囲の避難を誘発する「率先避難」になった。間一髪で津波を逃れた従業員も含め最終的にはほとんどが市役所から350メートル西の盛小に集まった。本社は津波で1階が完全に水没したが、盛小にいた全員が無事だった。

◎安全確保策を強化/事業継続へ高まる意識

 大船渡市の鶏肉加工・販売「アマタケ」の当時の常務村上守弘さん(54)は盛小への避難後、30代の女性従業員のことが頭から離れなかった。

 避難しようとした時に「自宅に子どもが1人でいるので帰宅させてほしい」と懇願された。家は海の近くだった。迷ったが、子を思う母親の気持ちが痛いほど伝わった。気を付けるようにと声を掛け、車で帰らせた。

 「帰宅を許した判断は正しかったのだろうか」。安否が分からない間、最悪の事態を想定し、自問自答し続けた。数日後に親子の無事が分かり、心の底からホッとした。

 本社の犠牲はゼロだったが、陸前高田市の2工場では、地震後に家族を心配して帰宅した従業員10人が、津波で命を落とした。工場の一つは高台にあり、とどまれば助かったはずだった。

 震災から2カ月後の5月13日、同社は自社ブランド「南部どり」のひなをふ化させた。従業員が一丸となって清掃など復旧作業に取り組み、7月1日には本社の工場の操業を再開した。

 それに合わせ、被災後も企業活動を維持するためのBCP(事業継続計画)の点検の一環で、防災対策も徹底的に見直した。

 津波襲来が予想される場合、従業員は帰さない方針を決定した。震災でも本社2階以上は浸水しなかったことを踏まえ、急を要する場合は上階避難を原則化。数日分の食料や水を備蓄し、毛布や発電機も置いた。

 従業員には、家族に対し、もしものときは帰宅できない旨を伝えさせた。本社で従業員の安全を確保し、家族には自分の身を守ることに専念してもらう。地域の犠牲を減らすことにもつながる。

 東京都の沿岸部にあった東京本社も、万一を考えて内陸に引っ越した。今は専務の村上さんは「10人の犠牲を重く受け止めなければいけない。早期再開の原動力となった従業員の命を、今後は絶対に守る」と言い切る。

 震災は沿岸部に立地する企業に対し、津波への備えが十分だったかどうかを問い掛けた。発生が平日の昼間だったため多くの企業が操業中で、大勢の従業員や顧客が危険にさらされた。

 震災以降、BCPへの意識が東北でも高まっている。被災企業の初動対応を調査した徳島大環境防災研究センターの中野晋教授(地域防災)は「BCPの前提として、従業員や顧客の生命の安全確保がある。企業にとっての資源である従業員を守らないと『その後』はない」と指摘する。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_06.html

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