「あの日から」第6部 地域と前へ 葛尾・下枝浩徳さん 人つなぎ村の未来開く

高校生と葛尾産米のおにぎりを握る下枝さん(左から3人目)=11月下旬、ふたば未来学園高

 「こんな面白い大人に出会ったことがない」

 交流があるふたば未来学園高(福島県広野町)の生徒たちから、こう慕われる人がいる。福島県葛尾村で地域再生に取り組む一般社団法人葛力(かつりょく)創造舎代表の下枝(したえだ)浩徳さん(35)。

 11月下旬、同校で葛尾産の新米を羽釜で炊き、振る舞った。コメは2年生が稲刈りを手伝った「里山のつぶ」だ。

 村のおばあちゃん手製の大根漬けと共に、炊きたての2升があっという間になくなった。「おいしいと思った人は、来年の田植えを手伝いに来てね」

 村は東京電力福島第1原発事故で全域避難を強いられた。帰還困難区域を除いて2016年6月に避難指示は解除されたが、事故前の人口1567に対し現在の居住人口は425。高齢者が47%を占める。

 まず目指すのは、数百人単位の過疎の集落でも幸せに暮らしていけるような仕組みづくり。葛尾産米を使った商品や村を楽しむコンテンツの開発を手掛ける。

 さらに「村の未来を担う次の世代がいない」ことを問題視。人材育成の一環として大学生のインターン受け入れや高校生との交流も続ける。受け入れた学生が移住する例も出てきた。

 「50年、100年先の地域の未来のため、ばかみたいに本気でやっている大人がいる」。そんな自分の姿を通して、若い世代に夢やロマンといったお金だけでは測れない価値を知ってほしいと願う。

 村の兼業農家に生まれた。埼玉県内の大学に進み、東京のボーリング機材メーカーに就職した。都会に憧れたものの、人のぬくもりが感じられず、入れ替わりも激しい生活にむなしさを感じていた。

 大人になった今なら、嫌いだった村も住みたい環境に変えられる-。学生時代に夢中になった地域づくりの経験を生かそうと、東日本大震災の前から村に帰ると決めていた。

 9年9カ月前のあの日は、くしくも会社に辞表を出した日でもあった。郡山市などで運送業や議員秘書の仕事をしながら、12年に葛力創造舎を設立した。

 だが、都会で得た地域づくりのノウハウが何一つ通用しない。仕事をつくり、稼ぐことが最優先と決め付けていた。しかし村の人が求めるのはむしろ、人とのつながりだった。

 「うまくいかないことが9割」。それでも逃げなかった。村に根差す暮らしや文化を大事にし、一緒に活動して村の人に受け入れられるようになった。

 17年5月には村内の農家の協力を得てコメ作りを開始。村の女性たちが各家庭で手作りしていた甘酒を商品化し、葛尾産米で造った日本酒「でれすけ」も今年4月に発売した。

 昨年11月に開設した民泊施設「ZICCA(ジッカ)」は教育旅行を受け入れるほか、地元の人が集まる憩いの場にもなっている。

 「住民が愛着を持ち、楽しく暮らせる村になれば自然と人は集まる。孫の世代が村で幸せに暮らしていれば最高」。夢とロマンを胸に、じわじわと地域を温める活動は続く。(岩崎かおり)

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