「ここを出ても夢や希望ない」 釜石の仮設住宅、最後の入居者退去

男性が暮らした仮設住宅の部屋。薄い壁と床から底冷えが忍び寄ってくる

 東日本大震災で家を失った被災者のために整備した岩手県釜石市のプレハブ仮設住宅から今月、全ての入居者が退去した。最後まで残ったうちの1人、40代の自営業男性は「震災からの10年、何の意味もなかった。ここを出ても夢や希望はない。取りあえず生きるだけ」とつぶやく。仮設の解消では埋まらない震災の傷痕の深さが垣間見えた。
(釜石支局・中島剛)

 「今も仮設に住んでいるなんて恥でしかない。『何で出ないのか』『出てるやつはいっぱいいる』とみんな思っている」。今月中旬、引っ越し途中の部屋に家具はほとんどなかった。匿名を条件に男性は取材に応じてくれた。
 震災で自宅と店舗が被災し、家族2人を失った。詳細は語ろうとしない。市の追悼施設にある芳名板への掲示も拒んでいる。「家族の名前が出ると(津波と合わせて)2度殺されるような気がする」と話す。
 仮設住宅には2011年夏に入居し、今の仮設に引っ越した。店舗は訪問営業から自力で建てたプレハブ、仮設商店街、再びプレハブと移った。店舗併設の自宅が完成するのは来年2月ごろで、それまで災害公営住宅に仮住まいする。
 仮設暮らしが長引いた訳は何か。自宅用地の区画整理が遅れた。建築を依頼した大工も多くの仕事を抱えて作業が進まなかった。「でも一番の理由は快適だったから。入居者が大勢いたときは気を使ったけれど、今は伸び伸び暮らせる。家賃もかからないし」。冗談めかした口ぶりに真意はつかめない。
 震災から約1年半、仕事に関連したボランティアで仮設住宅などを回ったという。「仕事に結び付くと思ってね。逆だった。みんな無料でサービスを受けることに慣れてしまった」
 津波の恐ろしさを伝えようと、知人に招かれて首都圏で講演したり、視察を受け入れたりもした。「以前は俺と同じ体験をしてほしくないと強く思っていた。今はどうだろう。当事者にならないと分からない、結局何も変わらないという思いがある」と明かす。
 被災地を巡る報道にも不満を持つ。「取材しやすい場所、声の大きい人にばかり行っている」とにらんだ。
 「いろいろなことを考えた気がするが、すごく昔に感じる。震災以降、記憶が蓄積されない」と男性は話す。新居が完成すればようやく落ち着きますね、と水を向けると、語気を強めた。「被災者は一生落ち着けない」
 釜石市生活支援室によると、市内のプレハブ仮設住宅には11月末現在で6戸13人が入居していたが、今月18日までに全て退去した。震災で市は3164戸のプレハブ仮設住宅を整備し、ピーク時の11年11月には2845戸6165人が入居していた。

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