荒浜っ子(6完)末永新さん 故郷で花火、集う契機に

荒浜小近くの自宅跡で、花火師と打ち合わせする末永さん(左)=2020年8月

 50発の花火が、仙台市若林区荒浜地区の夏の夜空を照らした。昨年8月22日夜。近くの貞山堀であった灯籠流しに参加した元住民たちから歓声が湧いた。

 「新型コロナウイルス感染症があり、直前まで打ち上げていいか迷った。やってよかった」

 寄付を募って花火を打ち上げた長野県上田市の会社員末永新さん(25)が、安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 打ち上げ場所は、東日本大震災の震災遺構となった母校の荒浜小近く。祖父の代から暮らす自宅があった場所だ。

 震災当時は七郷中(若林区荒井)の3年生。卒業式を終え、友達と自転車でJR仙台駅方面に向かっていた時、大きな揺れに襲われた。「津波が来るから戻ってこないで」。母から電話で告げられ、七郷中に避難した。

 5日後、自宅を見に行った。倒壊した家屋や一帯を覆う泥水に阻まれ、たどり着くことすらできなかった。生まれ育った地域の変わりように言葉もなかった。

 幼稚園の頃から毎日のように顔を合わせてきた親友=当時(14)=が津波に巻き込まれ、亡くなった。脳裏に浮かぶ顔は何年たっても中学生のまま。「一緒に遊びに行こうと声を掛けていれば助かったかもしれない」。後悔の思いは今も消えない。

 大学で土木を学び、2018年4月に大手建設会社に就職した。志願して19年12月までの間、宮城県の石巻市や女川町の防潮堤建設などの復興事業で現場監督を務めた。お盆や命日には同級生と一緒に親友の墓に手を合わせ、花を手向けてきた。

 19年8月に「荒浜 夏のバーベキュー・大同窓会」を企画した。進学や就職を経て、同級生らの生活環境が大きく変わっていく。集まる人が年々減ってきた状況を何とかしたかった。イベントの後に灯籠流しがあり、1日を締めくくるのが花火だった。

 荒浜地区の花火は、四十数年前に青年団の若者が試みた時期が3年ほどあった。「荒浜の文化は若い世代が伝えなければなくなってしまう」。かつて地域の大人たちがそうしたように、昨年の元旦には初日の出を見に来た人たちに甘酒を振る舞った。

 今年も予定していたが、感染症の拡大で急きょ取りやめた。「今年中止したからといって途絶えるわけではない」。来年以降の再開を誓う。

 震災後、荒浜地区は災害危険区域に指定され、ほとんどの場所で人が住めなくなった。大規模な観光果樹園の開発が進み、約2200人が暮らした浜の面影が残るのは荒浜小などに限られる。

 「地域がなくなっても、地元で何かイベントを企画していれば人々をつなぎ留められる。荒浜が好き。かけがえのない古里だから」

 今年の夏も荒浜で花火を打ち上げる。
(上村千春)

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