軌跡(11)双葉・佐藤一夫さん 郵便局跡地に面影求め

請戸郵便局の跡地で手を合わせる佐藤さん(中央)=10日、浪江町

 景色の変化が時の流れを物語る。東日本大震災の津波で壁が抜けた建物は姿を消し、新しい防潮堤ができた。周囲ではかさ上げ工事が進む。

 福島県いわき市に住む佐藤一夫さん(79)が10日、福島県浪江町請戸地区を訪れ、郵便局の跡地で静かに手を合わせた。長男の健一さん=当時(41)=がここで津波にのまれた。行方は分かっていない。

 「ほら来たぞ」。ほぼ毎月、足を運んできた。「あっという間。10年も何も関係ない。心の整理はつかないよ」

 同県双葉町にあった自宅は津波で被災し、東京電力福島第1原発事故で古里を離れざるを得なくなった。東京やいわき市での避難生活を経て、5年ほど前にいわきに家を構えた。

 茨城県で暮らす健一さんの妻子らに泊まってもらおうと、夫婦2人暮らしには大きい家にした。新型コロナウイルスの影響でなかなか会えない日が続くが、会員制交流サイト(SNS)を使って2人の孫が近況を知らせてくれるのが楽しみだ。

 仮設住宅に入っていた時は気持ちが沈み、出歩かなくなる時期もあったが、少しずつ落ち着いてきた。買い物に出ると、近所の人に声を掛けられるようになった。

 リビングの椅子に大きなジャンパーが掛けられている。健一さんが着ていたのを双葉の家から持ち出した。「体が大きかった。冬に着るにはちょうどいいんだ」。息子への思いが消えることはない。

 まだ幼かった孫から弁当を受け取り、いつも通り家を出たのを見たのが最後だった。勤務先だった楢葉郵便局から請戸局に応援に行っていたと聞いたが、詳しい足取りは今もはっきりとしていない。

 「あの日何をしていたのか、知りたい」。遺体が見つからず、墓に入れてあげることもできない。突然訪れた別れを受け止め切れずにいる。

 父、佐藤さん、健一さんと3代続いて郵便局員。就職先を探す健一さんに郵便局への勤務を勧めた。「俺が勧めなければな」。申し訳ない気持ちが頭をよぎる日もある。

 双葉の自宅は、原発事故に伴って県内で出た除染土を一時保管する中間貯蔵施設へ姿を変えた。行政区長として地区の住民の動向を見届け、思い悩んだ末に判を押した。

 震災と原発事故がなければ、家と土地は健一さんが受け継ぐはずだった。「その処分を決める時に息子と話をできなかった」。自分の代の後、佐藤家がどうなるのか気掛かりだ。

 中間貯蔵施設の敷地内にある墓は残した。国から価格を提示されたが、断った。「墓までなくなったら心のよりどころがなくなってしまう」

 郵便局跡地に設けた小さな祭壇に、昼間に蓄電し夜に光る小さなライトを付けていた。健一さんが迷わず戻れるように、との思いだった。その祭壇を近々、片付ける予定だ。

 来春に土地のかさ上げが始まり、県が海岸防災林を整備する。「残念だけれど迷惑も掛けられない」。息子とつながるために撤去後も訪れ、手を合わせようと考えている。
(加藤健太郎)

河北新報のメルマガ登録はこちら
震災10年 あの日から

 東日本大震災を経験した一人一人に、それぞれの震災があり、災後の歩みがある。あの日からの軌跡をたどる。

震災10年 復興再考

震災10年 あの日から

復興の歩み


企画特集

先頭に戻る