「震災10年 あしたを語る」元内閣官房長官 枝野幸男さん 衝撃の想定数「死者1万人」

枝野幸男さん
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 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から10年がたった。あの時は国の中枢で何が起き、復興は官民でどのように進められてきたのか。当時と10年間を知る政治、行政、経済のキーマン4人が語る。

 <観測史上最大の地震は国会も襲った>
 官房長官として全閣僚出席の参院決算委員会に出席していた。とてつもない揺れ。委員長に「先に首相官邸に戻らせてほしい」と申し出た。委員会室を出る時もまだ揺れていたと思う。
 官邸地下の危機管理センターに駆け付けると、最初に飛び込んできた情報に驚愕(きょうがく)した。想定死者数が「1万人」と伝えられた。震源や震度、地震の規模などの基礎データを基にしたシミュレーションだ。「これに津波(の影響は)入ってる?」と周囲に聞いたら、地震だけだと。
 結果的には地震だけでこれだけ亡くなっていないから過大な想定だったが、「これに津波が加わるのか」と強く印象に残った。
 <センターには既に福山哲郎官房副長官(当時)がいた。菅直人首相(同)や各省庁の職員らも続々と集まってきた。そして津波は大学時代を過ごした仙台市の沿岸部に押し寄せた>
 センターにはテレビ各局や自衛隊など関係機関からの映像が見られる大きなモニターがある。被害の様子が映し出されると、気付いた人が大声で知らせるということが何度も続いた。津波の映像もそこで見た。
 名取市閖上の住宅街や田んぼに次々と濁流のような津波が流れ込んでいた。閖上は土地勘があったので「えっ」と驚いた。仙台平野でこれでは、沿岸部は全滅じゃないかと。想像を超えていた。夜になり気仙沼の大規模火災も気掛かりだった。
 <3月11日夕方以降、東京電力福島第1原発の状況が深刻化する。午後7時すぎには原子力緊急事態宣言が発令された>
 外部電源が失われたが「電源車があれば」というのでかき集めた。夜にやっと電源車が現場に着いたのに、東電は「プラグが合わず接続できない」と。その頃から東電や(原子力安全・)保安院の情報を信じていいのか、どこかでもっと悪い情報が止まっているのではないかと疑問を持った。
 東電が「1号機の格納容器の圧力を下げるために放射性物質を含む蒸気を放出するベントをやりたい」と言ってきた。「政府からゴーサインがあればすぐにできる」とせっつかれ、12日午前3時すぎに記者会見を開いた。
 しかし、ベントはすぐに実施されなかった。記者会見後に執務室で少しうとうとしていたら、福山さんが起こしに来た。「ベントができていない」と。自分たちでやると言ったことがやれない。どういうことだと不信感はさらに高まった。
 <菅首相が12日早朝、ヘリで第1原発に出発した>
 現場の状況も分からず、東電や保安院の情報も信用できないとなると、官邸から誰かが行く必要性は感じた。ただ首相が行くのは政治的にマイナスだと思った。それは今も変わらない。
 <12日午後3時半すぎ、1号機で水素爆発が起きる>
 原発の方向から爆発音がしたとか煙が見えるとか警察や消防からの断片情報はあったが、何が起きたのか確認できたのはテレビで爆発の瞬間の映像を見た時だ。次の記者会見の予定時刻が迫っていた。多くの人があの映像を見ているが、われわれも映像以外の情報はない。何を伝えるか、震災直後の会見で一番悩んだ。
 政府が何も発表しなければ、より深刻な事態に陥っているのではないかと不安が増幅することを危惧した。分からないが一生懸命に調べているということだけでも、正直に言うしかないと思って臨んだ。
 <放射線量が高まるにつれ、避難指示の範囲を段階的に拡大。食品から基準値超の放射性物質が検出され、出荷規制へと続く>
 初期の段階では急性の放射線障害を心配した。できるだけ早く遠ざかってほしいと。そのために範囲は保安院の提言より広めに設定した。長期避難になるかもしれないというメッセージを出していれば、与える印象は少し違ったかなという思いはある。当初の想定は一時避難だったが、水素爆発で一変した。
 野菜や原乳から基準値を超える放射性物質が検出され、市場に出回っている可能性があった。ただ、基準値は1年間摂取を続けても人体には影響がないという値。文字通り「直ちに影響はない」と、かなり丁寧に説明したつもりだった。他の言い方があったかと考えると今も思い付かない。
 <旧民主党政権は復興施策や財源確保などの土台をつくった。今、かさ上げや防潮堤が整備された被災地で空き地も目立つ>
 小規模な移転で早く復旧させるか、一定の時間がかかっても大規模工事をするか、自治体が選択できるような枠組みにしたつもりだ。工事に時間がかかり、戻る住民が少ない地域もあるが失敗かどうかまだ分からない。かさ上げで広大な平地ができた地域は災害リスクも小さく、将来への可能性があるとも言える。
 <10年の歳月が過ぎ、現在は野党第1党の代表の立場にある。社会は新型コロナウイルスという新たな危機に直面している∨
 政府は危機の時にこそ機能しなければならない。当初の想定より悪い方に構えてもどんどん悪化したのが震災と原発事故だった。恐怖心すら感じた。現政権は残念ながら、教訓を生かし切れていない。当事者意識が欠けている。
 震災と原発事故はまだ振り返る段階ではなく現在進行形。当時の政府の要人だった責任をずっと背負っていく。政治家として第二の原点のようなものだ。
 被災者だけではなく、災害対応や支援に関わったわれわれもまた当事者だ。風化させずにあの時の危機感や喪失感を訴え続けなければ、次のリスクに備えることはできない。
(聞き手は山形聡子)

[えだの・ゆきお]1964年、宇都宮市生まれ。東北大卒。衆院埼玉5区。93年に日本新党から立候補して初当選。菅直人内閣で官房長官、野田内閣で経済産業相を歴任。2017年から立憲民主党代表。弁護士。

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