「震災10年 あしたを語る」わらび座女優 鈴木潤子さん 被災地の舞台 感じた「強さ」

「被災者の強さ、優しさを感じている」と話す鈴木さん=仙北市

 苦悩や悲嘆に満ちた東日本大震災からの10年。たくさんの経験と思索を重ねた今、歳月にどんな意味を見いだせるのだろう。それぞれの立場で被災地とともに歩み、現在に至る道のりを見つめ続けた6人が語る。

 <東日本大震災発生時、デビューを1カ月後に控えていた>
 翌日、デビュー作「おもひでぽろぽろ」の稽古が始まる予定だった。停電で稽古は中止。劇場がある、あきた芸術村(仙北市)の寮で何があったかよく分からないまま過ごした。
 3日たって停電が解消され、テレビで被災地の状況を知ることになった。あそこまでひどいとは…。言葉を失った。出身地は仙台市若林区。身近だった荒浜地区、名取市閖上地区の被害を見て、心が痛んだ。
 <2011年5月、東京で公演が実現。初舞台を踏んだが、葛藤も>
 演劇をやっていて良いのだろうか。無力さを感じていた。大学は看護学部だった。看護の道に進むか、子どもの頃から憧れていた演劇の世界に進むか悩んだこともあって、舞台を選択して良かったのかと。
 背中を押してくれたのは母親。自分の信じたことをやりなさいと言ってくれた。公演には被災地から来た方がいて、「楽しかった。勇気を頂いた」と声を掛けられた。やって良かったと思えるようになった。
 <震災で劇団は運営の危機に。東京電力福島第1原発事故の風評被害で、劇場を毎年訪れていた修学旅行生らが激減した>
 公演がなくなり、被災地を回った。約1時間のステージを開いた。岩手県山田町では仮設住宅の集会所が舞台。天井が低い上に狭くて。でも多くの人が来てくれ、笑顔で楽しんでもらえた。皆さん、言葉にできないほどの大変な思いをしたというのに。こちらが励まされているような温かい気持ちに包まれた。
 <舞台女優の道を歩んで6年がたった17年、ミュージカル「ジパング青春記-慶長遣欧使節団出帆-」に出演する>
 震災復興がテーマの舞台と聞いていた。仙台出身者としては絶対に出たかった。芸術村で約7カ月間公演した後、仙台で1カ月のロングラン公演をすることが決まった。うれしい半面、受け入れられるだろうかと不安もあった。
 どうしても仙台の人に見てもらいたい。その一心だった。被災者の方と会うたび、感じていたのは「本当に、皆さん強いな」ということ。慶長の大津波の人たちもそうだったのでしょう。そこを意識した。仙台と深く関われ、作品を通じて被災地とつながることができた。思い入れの強い公演となった。
 <震災から10年。新型コロナウイルスの影響で公演が減った。当時と状況が重なる>
 演劇の力で社会が明るく、良くなればと思っていた。今は、わらび座主催の企業を対象にしたコミュニケーション能力を高める講座で講師を務めている。
 コロナがなければ、この試みはなかった。人の可能性を広げる仕事。悩みも多いが、培ったスキルを少しでも生かせればと思う。
 震災を経て、役者の仕事を続けてきて、人の人生とその深さを知るようになった。震災という傷を東北の人たちは負った。だからこそ、強さと優しさを得たのだと思う。
 東北は人を思いやれる、温かく強い人たちのコミュニティーになれる。それが復興なのかな。そう考えている。
(聞き手は馬場崇)

[すずき・じゅんこ]1986年、仙台市若林区生まれ。宮城大卒業後の2009年4月、劇団わらび座の研究生となる。11年4月に入団し、ミュージカル「おもひでぽろぽろ」でデビュー。19年、「日本女子体育の母」と呼ばれる秋田市出身の井口(いのくち)阿くりの奮闘を描いた「いつだって青空 ブルマー先生の夢」で主演を務めた。

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