「震災10年 あしたを語る」ベガルタ仙台社長 佐々木知広さん 上位進出狙い元気届けたい

2020年シーズンの最終戦であいさつする佐々木さん=20年12月19日、仙台市泉区のユアテックスタジアム仙台

 苦悩や悲嘆に満ちた東日本大震災からの10年。たくさんの経験と思索を重ねた今、歳月にどんな意味を見いだせるのだろう。それぞれの立場で被災地とともに歩み、現在に至る道のりを見つめ続けた6人が語る。

 <サッカーJ1仙台の発足当初、1999年から市民後援会の先頭に立ち、地域を盛り上げてきた。東日本大震災から節目の10年。今度はクラブトップの立場から被災地を元気づける>
 2011年は東京のゆうちょ銀行に勤務していた。震災発生時、霞が関のビルの中で『逃げろ、逃げろ』とテレビ画面に向かって叫んでいたのを思い出す。犠牲になった友達が何人かいる。東北の人間なのにあの時、被災地にいなかった。何か悪いことをしたような。負い目は今も、消化し切れていない。
 <被災して苦しんでいる東北と、間もなく日常を取り戻した東京。東北人として、葛藤にさいなまれた>
 当初は東京も買いだめや計画停電で混乱していたが、2週間もたつと被災地との間にずれが出てきた。仙台に入ったのは震災から10日後。居ても立ってもいられず、支店に救援物資を届けるからと緊急車両に役員も乗せて。高速道路のサービスエリアに自衛隊、消防、米軍しかいない。ここは日本かと、最初に驚いた。物資を送り届けた後、とんぼ返りで東京に戻った。
 <精神的に不安定な日々が続いた。4月23日、Jリーグが再開。サッカー、スポーツの力を再認識した>
 川崎の本拠地、等々力陸上競技場。よくこれだけ大勢のサポーターが集まったと思った。仙台と川崎、2枚のタオルを同時に巻いている人もいた。試合前、全員で手をつないだ光景を忘れられない。川崎側が作成した震災のメッセージビデオが上映された。心がこもった内容だった。今も震災を思い出すと、インターネットで視聴する。涙が出てくる。原点に戻る感覚。
 <仙台は0-1の後半、太田吉彰が脚をつりながら同点ゴールを奪い、終了間際に鎌田次郎がヘディングシュートを決めて勝った>
 感無量。こういう時のためにある言葉だと思った。脚がつっていたのは観客席から分かっていた。試合前のもやもやした気分が一気に晴れた。一生忘れない試合だ。今も川崎は震災の募金活動を続けてくれている。感謝している。当時は全国のクラブから、市民後援会に救援物資が届いた。サッカーファミリーって、本当にいいなと思っている。
 <青森県五戸町出身の手倉森誠監督が8季ぶりに監督に復帰した今季、二人三脚で上位進出を目指す>
 「手倉森監督は復帰を『運命』と位置付けているが、自分も運命だと思い、震災10年の節目の年に向き合う覚悟だ。新型コロナウイルスの感染拡大もあり、世の中は雲がかかった状態だ。プロサッカーのビジネスは、多くの人に高揚感を与えられる素晴らしい仕事。こんな時代だからこそ、みんなをわくわくさせたい。
 監督は高い目標を掲げているが、まずはJ1残留を目指す。J1にいないと、世間にベガルタのニュースがほとんど届かない。昨季は経営危機など、暗い話題を提供してしまった。あの日から10年。被災地クラブとして歯を食いしばってでもJ1に居続ける。チーム全体で汗をかいて進んでいきたい。
(聞き手は狭間優作)

[ささき・ともひろ]1956年生まれ。大崎市出身。79年に旧郵政省入り。ゆうちょ銀行本社の郵便局担当室長などを歴任し、昨年3月に退社。市民後援会には99年の発足から関わり、翌年に理事長就任。クラブと主要株主が経営改善策を議論した2006年と昨年の経営検討委員会で委員長を務めた。

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