「震災10年 あしたを語る」車いすバスケ日本女子代表監督 岩佐義明さん 選手の頑張り胸張り報告を

2016年当時、監督を務めていた宮城MAXの練習で選手たちを指導する岩佐さん(右)=仙台市宮城野区

 苦悩や悲嘆に満ちた東日本大震災からの10年。たくさんの経験と思索を重ねた今、歳月にどんな意味を見いだせるのだろう。それぞれの立場で被災地とともに歩み、現在に至る道のりを見つめ続けた6人が語る。

 <昨年夏に開催予定だった東京パラリンピックが新型コロナウイルスの影響で1年延期となり、代表活動も昨年7月まで約4カ月間停止した>
 ここまで長かった。強化プランが練り直しとなり、自粛期間中は選手たちに個人練習をしてもらいながらリモートで面談も重ねた。昨年8月から強化合宿を再開できた。思い起こせば東日本大震災の時もチームの活動が一時止まった。選手を含めてよく立ち直ることができたと思う。
 <震災当時は車いすバスケの強豪「宮城MAX(マックス)」の監督で、4連覇が懸かった全日本選手権が控えていた。地震で練習拠点でもある仙台市内の勤務先が損壊。宮城県山元町の沿岸部にあった自宅も流失した>
 屋外に避難した時、隣にいた人の携帯電話のテレビで仙台空港(名取市、岩沼市)に津波が到達したことを知り、自宅や家族のことを案じた。家族は角田市に避難して無事だったが、翌日に自宅が賞状類などとともに跡形もなく流されたことを知った。練習を再開するのは厳しいと覚悟した。目標に置いた全日本選手権は中止となった。
 <失意の指揮官を再び奮い立たせたのは選手の熱意。プレーを願う声に励まされ、震災から約3週間後に山形市内で練習を再開した。翌年の全日本選手権で4連覇を達成。日本男子代表監督としてロンドンパラリンピックに出場し、12チーム中9位だった>
 選手たちが震災に負けず練習に励む姿を見たら、何とか次に向かって進むしかないと思い直した。練習拠点が再開するまでの約半年間は各地を転々としながら練習を続け、チームをつくり直した。困難の中で選手の頑張りに励まされた。
 ロンドンでは狙っていたメダルには届かなかったが、世界の強豪と小差の試合が多かったので悔いはなかった。代表チームの中心は宮城MAXの選手たちだった。震災のことを思い起こせば、本当によく頑張ってくれたと思う。
 <角田市に転居し、2018年に日本女子代表監督に2度目の就任。東京パラリンピックでは、前回監督を務めた08年の北京パラリンピックで4位と惜しくもメダルに届かなかった雪辱を期す>
 女子代表は北京を最後に本大会に進めていなかった。現在の代表候補選手たちは高さはないが、どこにも負けないスピードと技術を持っている。候補選手の中には(全日本選手権で11連覇中の)宮城MAXで男子に交じってプレーする2人がおり、所属チーム内でも十分戦力として機能しているので、とても期待している。プレスを強めた守備でボールを奪い、攻撃の回数を増やしていく。
 以前から山元町や角田市では住民が競技に高い関心を持っていただき、温かい応援の声が大きな力になっている。コロナ禍の前には角田で代表合宿も実現できた。被災地に良い結果を持ち帰りたいし、メダル獲得の目標を逃しても、選手の頑張りを胸を張って報告できるような戦いをしたい。
(聞き手は原口靖志)

[いわさ・よしあき]1958年、宮城県山元町生まれ。仙台大までバスケットボール選手としてプレーし、89年に勤務先の宮城県障害者総合体育センター(宮城県宮城野区)を拠点に宮城MAXを結成。宮城MAXは2014年、河北文化賞受賞。ヘッドコーチを28年務め、日本女子代表監督就任に伴い17年に退任した。

河北新報のメルマガ登録はこちら
3.11大震災

復興再興

あの日から

復興の歩み

秋季高校野球宮城大会 勝ち上がり▶


企画特集

先頭に戻る