東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から10年がたった。あの時は国の中枢で何が起き、復興は官民でどのように進められてきたのか。当時と10年間を知る政治、行政、経済のキーマン4人が語る。
<社長就任から8カ月で東日本大震災に直面した>
私にとっても、会社にとっても、全く経験のないレベルの災害だった。多くの電力設備が被害を受け、供給力のほぼ2分の1を失い、お客さまの7割に当たる486万戸が停電した。電気を送らなければ被災地の救援活動や支援ができず、避難された方々の暮らしも成り立たない。まずは停電解消を最優先に行った。
危険もある中で社員や協力会社の人たちが復旧に当たり、停電は3日で8割、8日で94%解消した。東京電力福島第1原発事故の立ち入り禁止区域などを除いて解消できたのが6月18日。3カ月余りかかった。
<電力需給は逼迫(ひっぱく)し、一時は「計画停電」を検討する事態となった>
電力需給対策と迅速な設備復旧を最優先の経営課題とした。当面はコストを度外視してでも安定供給を維持することを指示した。そういう中、東電管内で計画停電が始まり大混乱になった。私たちも準備はしたが、被災地で絶対に発動しないという決意で、緊急設置電源の配備、他社からの電力購入で計画停電を回避した。被災地の電力会社として最低限の使命を果たせたのではないか。
<主力の原発が長期停止し、火力発電所の燃料費が増加。財務が悪化した>
原発も止まっていたので火力燃料費の支出が大きくなり、財務的に厳しい状況になった。被災地の方々の負担になってしまう電気料金引き上げは極力回避したいとの思いがあり、グループ会社を含めて効率化や徹底的な経費の圧縮をした。
だが、震災前は22%あった自己資本比率が2013年には11%を切るようになってきた。資金調達できない環境になれば、事業運営ができなくなる。安定供給を果たせなくなるところまで追い込まれ、引き上げという苦渋の決断をした。
<電力会社への風当たりが強さを増した>
社員は「原子力事業はどうなっていくのか。会社は解体されて大変になっていくんじゃないか」などと、不安になっていたと思う。
私も不安だったが、「目の前の仕事をやっていこう。クリアしていけば必ず次が開ける」と言っていた。私自身は逃げられないわけですよ。会社がつぶれるかもしれないという意識があるから、最後は腹をくくり、平時だったらできない改革や変革に取り組んだ。
語弊はあるかもしれないが、「社長冥利(みょうり)」に尽きる経験をさせてもらった。就任したころは会社の状況が絶好調だった。原発が4基とも順調に運転し、夏の暑さで電力需要が伸びて収益がかなり見込まれていた。
ところが震災で、全社員が「これは大変だ」という意識になった。会社の体質が大きく変わり、スリムになった。震災前の「ぬるま湯」の状態で今の全面自由化の時代を迎えていたら、ちょっと大変だったなという気もしている。
<東京電力福島第1原発事故後、再稼働したのは5原発9基にとどまる>
福島の事故は結果的に、想定外の事象に対応できなかった。100パーセントの安全はないことを意識し、想定外にも備えることが一番の教訓。次代へ引き継ぐことが非常に重要だ。
私自身、福島の事故を重く受け止めている。国や東電も混乱していた。「電源車を福島第1に送ってくれ」と(東北電に)要請があり、行った。でも事故の状況が大変で、電源車を置いて戻らざるを得なかった。そういう危険な所に社員を向かわせたことを、すごく反省している。あのような事故になるとは、その時点で誰も想定できなかった。
あの時、原子力は信頼を喪失した。いまだに避難されている方もいる。不安を抱えている方も多い。規制基準を満たすだけでなく、着実に安全対策などの実績を積み上げるしかない。ハード面を生かすソフト面の力も必要。事前にシナリオを知らせない実践的な訓練を積み重ねている。
<電力業界を取り巻く環境は様変わりした>
電力の供給構造が大きく変化した。固定価格買い取り制度が導入され、太陽光発電を中心に再生可能エネルギーが急速に増大している。原発の停止が続き、供給の8割を占める火力には二酸化炭素(CO2)排出の問題がある。「脱炭素」という政策面の課題、災害時や異常気象時の供給不安定性といった課題がある。
電力システム改革の影響も大きい。大手電力による地域独占から自由化の時代に移行し、送配電部門を分社した。新電力や他の大手との全国的な競争になっている。エネルギーを分散化し、デジタル化し、リソースを脱炭素にする。この三つは今後、間違いなくエネルギー業界に求められる。
震災後も自然災害が多発している。台風が大型になり、水害や雪害が頻繁に起きている。災害に対するレジリエンス(回復力・強靱(きょうじん)さ)をあらかじめ備えることが重要と実感している。
<間もなく会長を退く>
この10年間、特に意識してきたことがある。一つは震災の教訓を経営に生かしていく必要性。防災体制を強化し、訓練を積み重ね、震災経験を伝承していくことを意識してきた。
もう一つは地域との信頼関係の大切さ。電力システム改革の中で、意識的に地域との信頼関係を構築しないと東北電力はなくなってしまう、という意識が強かった。
復興は道半ば。東北は人口減少や高齢化が進み、このまま放置すると疲弊していく。東北を活性化し、支えていくのが東北電力の経営の目的でもある。
震災後の10年を新体制も十分重く受け止め、残された課題を一つ一つクリアしてもらいたい。原子力と地域の振興、復興は中心のテーマ。会社の収益性を向上させるだけではなく、東北を振興する視点を忘れずに事業を展開してほしい。
(聞き手は水野良将)
[かいわ・まこと]1949年、東京都生まれ。東北大卒。73年東北電力入社。副社長を経て2010年6月に社長就任。15年6月から現職。4月1日付で取締役相談役となる。16年6月から東北経済連合会会長も務める。
[東北電力の原発の状況]女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)は2020年2月、再稼働の前提となる原子力規制委員会の新規制基準適合性審査に合格した。同11月には県と立地2市町が再稼働に同意。東北電は安全対策工事が完了する22年度以降の再稼働を計画する。東通原発(青森県東通村)は現在、審査中。東北電は女川3号機についても審査申請の準備を進める。女川1号機は20年7月に廃炉作業が始まった。浪江・小高原発(福島県浪江町、南相馬市)の新設計画は13年3月に撤回した。
宮城県内の沿岸15市町からのメッセージ。東北を想う全ての人に「ありがとう」を。
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