<ハンセン病・熊本地裁判決20年>上 隔離の歴史と教訓、継承を模索

 ハンセン病の強制隔離政策を違憲と断じた国家賠償請求訴訟の熊本地裁判決から、5月11日で20年を迎える。隔離の傷痕は今なお深いが、東北にも負の歴史と向き合う人々がいる。元患者や教師、市民、宗教者。それぞれが追い求める共生への道をたどった。
(生活文化部・片山佐和子、青森総局・荘司結有、登米支局・宮崎伸一)

 病気の後遺症で変形した両手はもう隠さない。

 「昔は人前に出るたびに両手をポケットに突っ込んだ。今は堂々と歩ける」。国立ハンセン病療養所松丘保養園(青森市)の入所者自治会会長を務める佐藤勝さん(72)は、2001年の熊本地裁判決が元患者に対する社会の目線を変えたと肌で感じる。

 園内の空気も一変した。観桜会に住民を招いたり、講演会を開いたり。入所者たちは地域との交わりを着実に育んできた。

 交流を歓迎する一方、佐藤さんは「何十年と隔離を強いられ、静かに暮らしてきたため、来訪を負担に思う入所者も少なくない」と案じる。社会と積極的に関わることをためらう心情も、約90年に及ぶ隔離政策がもたらした弊害だ。

 01年度末に230人いた入所者は58人になり、平均年齢は87・8歳。入所者の減少が加速度的に進む中、地域とどう共生するか。方針を示す「将来構想」の策定は宙に浮いている。

入所者の将来像を議論

 09年、国立療養所の地域開放を認めるハンセン病問題基本法が施行された。各療養所の入所者は将来構想をつくり、老人ホームや保育園を誘致するなど地域開放を進めた。

 保養園の自治会も10年に構想案をまとめ、介護老人保健施設の誘致を検討した。だが近隣に医療福祉施設が増え、見直しが必要になった。現在は認知症などを患う入所者が増え、議論に参加できるのは数人。新型コロナウイルスの影響で、職員や市民との協議も中断している。

 啓発に取り組む市民団体「松丘保養園の将来構想をすすめる会(現・松丘保養園とともに歩む会)」(青森市)の本田雅章・元会長(56)は、真宗大谷派の僧侶として25年以上前から元患者と交流してきた。「入所者との触れ合いを大切にしつつ、差別実態を学ぶ施設として残すべきだ。国や青森県、青森市もともに構想策定に向けて議論してほしい」と話す。

 佐藤さんも入所者がいなくなった後の療養所と社会の共生の形を思い描く。「過ちを繰り返さないために、若い世代に歴史を継承したい」と願う。

 登米市の国立療養所東北新生園は全国に先駆け、04年に将来構想を策定。隔離の実態を伝える資料館や運動場などを整備した。

 入所者自治会の久保瑛二会長(88)は「小中学生にハンセン病の歴史を学んでほしい」と人権教育の拠点としての重要性を強調する。

語り部として看護学生に自身の経験を話す佐藤さん=2019年9月、青森市の松丘保養園

[熊本地裁判決]ハンセン病はらい菌による感染症。感染しにくく、適切な治療で完治する。日本は1996年の「らい予防法」廃止まで患者の強制隔離政策を約90年間維持。熊本地裁は2001年、元患者による国家賠償請求訴訟で「遅くとも1960年には違憲性が明白だった」として、国の責任を認めた。国は控訴を断念し、謝罪した。

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