社説(6/3):「縄文」世界遺産/保全と発信 万全尽くそう

 農耕に移行することなく長い年月、狩猟や採集、漁労を基盤として定住し、高度な精神文化を育みながら、海峡をまたぐ広域文化圏を築いた。

 1万年を超える縄文の人々の歩みは、ともすると閉塞(へいそく)感に立ちすくみそうになる現代人に、人間本来のたくましさを教えてくれるようだ。

 青森市の三内丸山など17遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されることが確実となった。

 ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)が5月26日に登録を勧告した。7月に正式決定される見通しだという。

 先史時代の遺跡は国内初の登録で、東北の世界遺産は4例目となる。まずは東北の関係者と喜びを分かち合い、その価値の保全と活用に向け、知恵を絞っていきたい。

 北海道と青森、岩手、秋田の3県が登録に名乗りを上げたのは2007年。国内に約9万もある縄文遺跡の中で、他に類を見ない特徴をどうアピールするかが課題だった。

 17遺跡の年代は紀元前1万3000年~同400年に及ぶ。苦心の末に描いたのは、津軽海峡を挟む同一文化圏にあった遺跡を組み合わせ、縄文時代の定住文化が1万年を超えて発展していく過程を明らかにする戦略だった。

 北東アジア最古の土器が出土した太平山元遺跡(青森県外ケ浜町)は建築物のない簡素な居住地にすぎなかったが、垣ノ島(北海道函館市)では住居と墓が分離。さらに時代が進むと、大湯環状列石(鹿角市)のような祭祀(さいし)場が現れ、ついには三内丸山のような大規模集落が登場する。

 そんな変遷を物語として浮かび上がらせることで「ある文化を特徴付ける居住形態や土地利用の顕著な見本」「ある文明の存在を伝える無二の物証」といった登録基準をクリアすることができた。

 ただ、対象地域や遺跡の構成が本当に妥当かどうかを巡っては、現在も議論が続く。特に遮光器土偶で有名な亀ケ岡石器時代遺跡(つがる市)に代表される縄文晩期については「福島県まで同一文化圏に入る」(関根達人弘前大教授)との指摘もある。登録後も遺跡の追加を検討し、説得力のある組み合わせを追求していくべきだろう。

 登録には万全の保護管理体制が求められる。地元4道県は地下に高速道路が通る遺跡や、工業地帯に隣接していて景観保全の難しいものを除外した経緯がある。二つのストーンサークルの間を県道が走る大湯環状列石では今後、迂回(うかい)工事も検討されている。地元の取り組みを国も十分に支援してほしい。

 文明の転換点が今まさに見えてきそうな時代だ。縄文人の息吹に触れられる遺跡群に新たな魅力を見いだし、東北人として世界に発信できるようになりたいものである。

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