内陸地震13年、リスナーと共に 一関のFMパーソナリティー塩釜さん

マイクの前でリスナーに語り掛ける塩釜さん=一関市のFMあすも

 2008年の岩手・宮城内陸地震から14日で13年になる。岩手県一関市の地域FM局「FMあすも」のパーソナリティー塩釜一常さん(42)はあの日、ラジオを通じ人命を救った。「リスナーに寄り添う存在でありたい」。次の災害を見据えつつ、マイクに向き合う。

災害時、絆あれば言葉届く

 当時は奥州市の地域FM局に勤めていた。「助けてください」。リスナーから番組にメールが来た。午前8時43分の地震発生から約2時間後だった。

 発信したのは市内の焼石岳の女性登山者。崖崩れで17人が孤立した。携帯電話で通話はできないがラジオは聞けるという。

 すぐ動いた。局員がメールで場所や状況を確認。市に情報提供すると、自衛隊のヘリコプターが現地へ飛んだ。塩釜さんは番組で呼び掛けた。「もうすぐ着きます。落ち着いてそこにいてください」。午後3時すぎ、全員無事に助かった。

 自身もラジオに救われた。1994年、一関市の高校1年だった塩釜さんは一時期、学校に足が向かなかった。深夜ラジオを聞くと曇りがちな気持ちが時々晴れた。歌手石川よしひろさんの番組「オールナイトニッポン」に相談のはがきを送った。

 「うつむいても仕方ない」。石川さんはラジオを通して励ましてくれた。「番組では全部読めないけれどリスナーみんなの気持ちがいっぱい来ている」。50枚以上の反響のはがきの束を一関に転送してくれた。「同じ気持ちになる時がある」。つづられた言葉が塩釜さんの背中を押した。

 95年1月、阪神大震災のラジオニュースを聞き、アナウンサーを志した。専門学校を出た98年、大阪の地域FM局に入って被災者と番組を作った。2006年に奥州市のFM局に入局。東日本大震災直後、大船渡市に地域FM局を設立し、懸命に支援情報を伝えた。

 間もなく過労で倒れた。「平時はラジオが必要とされてきたのだろうか?」。入院中、災害時との落差を感じた。答えが出ず、退局した。

 12年4月、内陸地震震源地の一関市に「FMあすも」が誕生。導かれるようにマイクの前に戻った。

 新型コロナウイルス禍で迎えた今年の3月11日。震災特別番組でどうしてもリスナーに問い掛けたいことがあった。「震災では多くの絆に支えられました。でもコロナ禍で県外の人への気持ちは変わっていませんか?」。優しい気持ちの大切さを伝えたかった。

 以前感じた疑問への答えも同じだった。ヒントは石川さんら当時の番組パーソナリティーが、エイズ患者への理解を啓発しようと歌った曲「今、僕たちにできる事」の歌詞にあった。〽今僕らに出来ることは やさしさを忘れないこと いつの日でもどこにいても-。

 塩釜さんは午後1時前になると語り掛ける。「病気療養中の方は午後もゆっくり体を休めてくださいね」

 ささいな言葉に人は救われる。27年前の自分のように。「普段のつながりがあれば災害時に言葉はより届くはず」。そう信じている。
(一関支局・金野正之)

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