「復興再考」第12部 つなぐ(5完)文化/「命を守る」問い続ける

小学生に大槌町の被災状況を説明する神谷さん=3日、岩手県大槌町

 ぞっとするような字面。その2文字は強烈な印象で心に訴え掛けてくる。

 東北大災害科学国際研究所長の今村文彦教授(59)が津波被害を独特の表現で記した史料の存在を知ったのは、東日本大震災から10年近くたった頃だった。

 「血波(ちなみ)」

 1774年に仙台藩が編さんした「風土記御用書出」(宮城県史収録)にその文字はあった。

 現在の多賀城市で、橋が津波で流されたのを「血波ノ為(た)メ落橋」と記述していた。藩領で1783人の犠牲が出た慶長三陸津波(1611年)と推測される。石川県輪島市にも同様の史料があった。

 「先人は何とかして津波の脅威を伝えたかったのではないか」。経験や教訓を忘れまいとする覚悟のよう。胸に突き刺さった。

 古くから日本は地震や津波、噴火など自然災害に幾度も見舞われた。命を守る口伝や戒めは、長い歳月の中で埋もれてきた。

 戦後50年に阪神大震災が起き、10年を置かずに新潟県中越地震(2004年)、東日本大震災(11年)、熊本地震(16年)が襲った。南海トラフ巨大地震や首都直下地震への警戒も高まる。

 「大震災の記録を永遠に残し、その教訓を次世代に伝承する」。11年、政府の復興構想会議は復興7原則の冒頭に伝承を掲げた。翌12年に災害対策基本法が改正され「伝承は住民の責務」とまでうたわれた。

 その掛け声とは裏腹に、記憶の風化は静かに進み、震災後生まれが社会の中心となっていく。

 今村教授ら研究者はこの春、提案した。3月11日を「防災教育と災害伝承の日」とすることだ。

 毎月11日の月命日に思いをはせながら、6月は「みやぎ県民防災の日」、9月は「防災の日」、11月は「世界津波の日」がある。災害と隣り合わせだからこそ、日ごろから教訓と向き合う機会を増やしたい。「伝承は生活にしっかり結び付けることが欠かせない」

 「みんなが住んでいる地区はどんな災害が起こり得るのかな。帰ったら地図を見ながら考えてみて」

 津波で被災した岩手県大槌町。今月3日、語り部を担う一般社団法人「おらが大槌夢広場」の代表理事、神谷未生(かみたに・みお)さん(45)が、盛岡市から修学旅行で訪れた小学6年生に問い掛けた。

 災害を「自分ごと」と受け取ってほしい。備えはハザードマップや避難場所を知ることだけではない。

 それは毎日をどう生きるのかという問いにほかならない。「家族や愛する人への日々のあいさつ、感謝を伝える言葉。大切な人を守ろうという行動は、そんな思いやりの積み重ねから生まれる」

 被災地支援を機に海外から移り住み、語り始めて8年近く。被災した旧役場庁舎の保存か解体かを巡って町が二分し、どこか住民の間に震災を語りにくい雰囲気があった。復興が進み、かさ上げされた街に家々が並ぶ。「まだ語り部やっているの」と言われたこともあった。

 大槌で結婚し、長男の蒼(そう)ちゃん(5)を授かった。被災を乗り越えることは必要だけど、忘れることじゃない。伝えることは未来へのメッセージとなる。

 きらきらと輝く海の前で神谷さんは子どもたちに言葉を贈った。

 「楽しい思い出をつくれるのは待っていてくれる人がいるから。家に帰ったら、『ただいま、今までありがとう、これからもよろしくね』と伝えてね」

 命を守るという一番大切な文化は、日々の暮らしの中でこそ育まれる。

 第12部は柴崎吉敬、鈴木拓也、坂井直人、東野滋、吉田尚史が担当しました。「東日本大震災10年 復興再考」は今回で終了します。

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震災10年 復興再考

 東日本大震災は命、暮らし、教育、社会の在りようを根底から問い直した。私たちが目指した「復興」とは何だったのか。政府の復興期間の節目となる震災10年に向け、その意味を考えたい。

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