(4)風評に負けず福島の味伝える

柿の実の成長を見守る阿部郁=5月25日、国見町

あんぽ柿農家 阿部郁(31)=福島県国見町

 「放射能で騒がれている場所で作られた物なんて食べたくない。子どもには絶対食べさせない」

 柿を加工した「あんぽ柿」を販売した東京の会場で女性客が放った一言に、福島県国見町の農業阿部郁(かおる)(31)は返す言葉がなかった。2014年、町の農産物PR活動に参加した時のことだった。

 あんぽ柿をはじめ、農家仲間と持ち寄った商品は十分な検査で安全を確認した物ばかり。それなのに試食品を渡すと食べるふりをしては捨てられたり、通りすがりの客からは罵声を浴びせられたりした。

 「これが現実か」。東京電力福島第1原発事故の風評は想像以上に深刻で、ただ立ち尽くすだけだった。

 郁は祖父晃(あきら)(84)から続く農家に生まれ、幼い頃から農業のやりがいや楽しさに触れてきた。

 3代目を継ぐ決意が芽生えたのは18歳の頃だ。農業高校の実習で育てたモモを販売した際、客から「ありがとう」と言われたことに心が揺さぶられた。

 まずは商売の技術を身に付けようと、観光果樹園への就職を決め、県内の農業短期大学を卒業した11年3月、放射性物質が農地に降り注いだ。

 県は国の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超す放射性セシウムが検出されたとして、国見町を含む主要産地にあんぽ柿の生産自粛を要請。実は棒で落とされ、地面で腐った。

 ある日、父亨(とおる)(56)がふと「農業やりだくねぇな」と低い声でつぶやいた。父に弱音を吐かせる現実に悔しさがあふれた。

 「少しでも早く地元に貢献したい」。郁は観光果樹園を1年で退職し、家業を継いだ。3000平方メートルの柿畑を除染し、地区のあんぽ柿出荷は13年12月、3年ぶりに再開した。「期待と不安が半々だった。町内には出荷ができない地区もあり、複雑だった」と当時の胸中を振り返る。

 県によると、毎年実施される試験加工品の検査で、国見町の検体は15年以降、食品衛生法の基準を全て下回っている。

 一方、加工に手間がかかるあんぽ柿は高齢者には負担が大きい。出荷再開を断念した生産者は少なくなく、町内の柿農家は事故前から3割少ない107軒に減った。後継者が決まるのを待ち、再開の決断を保留にしている農家もいる。

 「あんぽ柿は福島の味。伝統を絶やしたくない」と郁。担い手不足が叫ばれる中、早く一人前になりたいとの思いは強い。毎日欠かさず描き続けた作業日誌は10冊目に入った。

 首都圏でのPR活動は14年以降も毎年続けている。6度目となった19年は、試食した多くの客が目の前で「おいしい」と顔をほころばせた。常連客もでき、高校生の時に思い描いた理想の姿にやっと近づいた。

 福島県内のあんぽ柿は原発事故前、約22億円の売上高を誇った。風評被害で販売単価は十分回復していないものの、現在は19億円まで回復し、海外輸出を探る動きもある。

 「国見のあんぽ柿はおいしくて安全であることをもっと多くの人に知ってほしい。直接伝え続けることが私の使命」。郁は真っすぐ前を見つめている。
(敬称略)

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原発事故と私

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。

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