(1)避難解除後の古里の暮らし支える

コンビニ店長 古河ひろみ(40)=福島県田村市都路町

 峠道を東へ下った先に東京電力福島第1原発がある。2011年3月12日、1号機建屋が水素爆発を起こし、夕刻には福島県田村市都路町の全域に市の判断で避難指示が下りた。994世帯3001人が西に逃げる。その一団に2人の子どもの手を引く古河ひろみ(40)もいた。

 東日本大震災の前から都路の西隣に位置する田村市常葉町のコンビニエンスストアで働いていた。会社の寮に子どもたちと身を寄せると、すぐ店舗に立った。

 物資は届かない。停電は続いている。「それでも物があるうちは店を開けるという考え方。まさにコンビニ。今思えば働くより休んでいた方が補償をもらえたのに」。10年の歳月を経て、必死の日々を笑い話で振り返ることができるようになった。

 原発20キロ圏の都路町東部の避難指示は3年に及び、14年4月に解除された。「数え切れないぐらい説明会を繰り返してこの日を迎えた。帰還を決めたのは子どもたち。狭いアパートより都路で伸び伸び暮らしたいと言ってくれた」

 帰還に先立って市は住民アンケートを実施している。「帰還に向けて都路に何が必要か」。「コンビニ」という声が一番多かった。「本当に都路で暮らしていけるのか、誰もが半信半疑だった。コンビニを求めるのは不安の裏返し」。古河にはそう思えた。

 住民の要望を受けた地元の商工会長や市議が頼りにしたのは、店舗運営のノウハウを持つ古河だった。まだ帰還住民も少ない中で最大のハードルは従業員の確保。友人知人に片っ端から声を掛けて回った。

 大手に出店を依頼し、1社が名乗りを上げた。異例の本部直営だ。古河が店長となり、ママ友従業員15人で15年1月21日、都路初のコンビニが開業した。

 福島第1原発へと続く峠道の国道288号に面し、都路の中心部を見下ろす店舗はロードサイド店と地域密着店、両方の顔を持つ。利用客の8割が除染などの作業員だ。住民も子どもたちの行事がある日や早出仕事前の早朝に立ち寄る。

 住民のための店が基本だから、通常は置かないような小物雑貨も別ルートで仕入れている。「まるで、よろず屋。お年寄りから野菜の種や花の苗を置いてくれと言われたときは、さすがに困ってしまったけれど」

 都路に帰還した住民は今年5月末で886世帯2148人。帰還率は90・6%になった。除染作業が一段落して売り上げは徐々に減っている。理想は地域密着店への移行だが「これ以上、人が増えることはないと思う」。古河は古里の将来を冷静に見つめた。

 1971年3月に福島第1原発の営業運転が始まると、周囲を阿武隈の山々に囲まれた寒村の暮らしは一変した。送迎バスが大人たちを原発まで送り、都路に現金をもたらした。古河の祖父も若い頃は原発作業員だった。

 「原発のせいだと思ったことは一度もない。地震が起き、津波が来てどうしようもない状況だった」。店舗を訪れる人々の笑顔に触れるたび「これから先を考えることの方がずっと大事」と自分に言い聞かせる。
(敬称略)

 東日本大震災被災地の中にあって、原発事故があった福島は特別だ。ようやく未来につながる光がわずかに見えてきたものの、復興へと向かう道のりはとてつもなく長い。しかし歩みを止めるわけにはいかない。福島の行く末を明るく照らそうと一歩一歩進む人たちの現在の思いを紹介する。

店長を務めるコンビニで商品を陳列する古河=田村市都路町
住民帰還後の課題を話し合った懇談会。マイクを握るのは、当時市長だった故冨塚宥暻氏=2014年8月、田村市都路町
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原発事故と私

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。

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